2008年08月31日

8月のオタ話

週刊少年ジャンプの背表紙が『ONE PIECE』一色で、今年一年はあれで行くのだろうが、
JOJOとかの単行本ではああいう試みはあったけど、雑誌でやると全部は見れない気がする。
雑誌はさすがに一定量集まったら捨てるし。単行本と違って本屋に順番に並ばないし。
あのパノラマって、漫画喫茶以外で全部を通して見る機会は無いんじゃないかと思う。
まぁどうせ、今年の年末あたり、どこかの個人サイトがちゃんと写真をUPするだろうけどさ。

あと、関係ない話だけど、背表紙を並べると一枚の絵になるとか、私はそういうのが好きで、
今年の4月にイギリスの新貨幣が発表されたんですけど、ああいうのも大好きなんです。

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これ、順番に積み上げると、側面には「ファッキン・ユーロ」って刻まれてあるらしいですね。
日本でこういうことをすると絵柄は何になるんでしょうか。日光東照宮あたりですかね。



ギャルゲーだと思ってて今までスルーしてた東方projectですが、
友人から「お前それは違うってマジSTGだからいやマジで」と言われて開眼。
見てみると確かに、あんな硬派な弾幕ゲームだったんですね。知らなかった。
それと、2次創作の巨頭の元の絵柄があんなに素朴なのは意外な気がします。
また、きちんと正統派の、神話的な雰囲気を意識していてイイ感じです。
ニコニコ動画で理解できるネタが増えたのはまぁ、いいのですが、
この1ヶ月足らずで、私のPC内の東方フォルダは膨れ上がる一方なのです。
キャラが多いから簡単に画像が4桁までいきましたよ。自分でもドン引きです。
ちなみに好きなキャラは清く正しい射命丸と、扱いが不憫なリグルです。
でも一番画像が多いのは中国です。このキャラは絵師から愛されていると思います。

あと、友人からアイドルマスターも薦められてるのですが、あれはギャルゲーでイイですよね?
というかこれ以上フォルダを作りたくないのです。iM@Sだってキャラ10人以上いるんだし。
と言うか、眼鏡属性フォルダに既に一名、大量に入っているのですけどね。怖い怖い。



『銀魂』の作者が、単行本の表紙で煙草を吸うキャラに煙草をくわえさせられない、
とか何とか、単行本の中でボヤいていて、そういうものなのかと思っていたら。

矢沢あい 『NANA(19)』(りぼんマスコットコミックス)
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めっちゃ吸ってる! くわえてる! 紫煙まではっきりと見えるじゃん!
ちょっと一体どういうことなの集英社!? 女キャラならいいってこと?
それともギャグ漫画だから駄目なの? 背景込みならOKってこと???????




あずまきよひこ 『よつばと!(8)』( Dengeki comics )
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一言で言えば「全ページがイイ」ってことだと思います。
色んなところで話題になってます。やたらとスレを見かける気がします。
みんなよくそんなトコまで読んでるな、スゲーなこいつらと感心します。
ラジオ体操のときのお姉さんが再登場してたとか、しまうー胴が長いとか。
よつばが鍵を閉めるシーンで三コマ使っていて、その間がとても面白いとか。
文化祭で、子供のよつばに生徒の視線が比較的多く集まっていていい、とか。
裏表紙を見る限りでは、みうらは赤い隈取をしてるよね、とか。

お父さんスイッチや逆さまのペットボトルも背景として素晴らしいのですが、
個人的には、祭りの回で、細長いジュースが配られていたのが印象的です。
町内会の催事で出てくる、安い方の、細長いジュースこそ祭りの本質ですよね。
ポリバケツで冷やしているあたりも好きです。地域ってそういうことだと思います。
posted by 手の鳴る方へ at 11:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

トドロフの『啓蒙の精神』

ツヴェタン・トドロフ 『啓蒙の精神』(石川光一 訳 法政大学出版局)
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……啓蒙のアイデンティティ、すなわち、自立、人間中心主義、政治と道徳がまったく人間に根ざすこと、権威を論拠とするよりも理性を論拠とすること……(p.31)


18世紀のヨーロッパに興った啓蒙思想は、良くも悪くも近代を特徴付ける思想と言える。
万人が有するとされる理性の光の名の下に、キリスト教的、神学的なドグマを退け、
科学・経済・政治体制等が整備され、自由や法のもとの平等が謳い上げられた。
また、理性的な「啓蒙」の名の下に、社会の中の暴力・革命が正当化されるようになり、
未開社会は、植民地政策とセットで西洋化という名の文明化を強制され、あるいは搾取され、
また、ファシズムのような全体主義が、民主主義や官僚制の下で桁違いの虐殺を生んだ。
それにコミュニティの崩壊だとか、科学の発展による環境破壊だとか、道徳の欠如だとか、
物質的な欲望を追求する利己主義であるだとか、(成人)男性中心主義だとか、もう色々。


あれれ〜、啓蒙思想って駄目じゃ〜んと、そう思う人がいるとすれば、その人は正しい。
大抵の近代批判は、本人の意志は別にして、そのまま啓蒙思想に対する説教なことが多い。
それについて、神に従わず、人間が好き勝手に生きちゃ駄目だろ常考、という宗教側からの批判もある。
そもそも啓蒙思想自体が、ロベスピエールみたいな「理性教」的一面を有しているのも確かだ。
「ロベスピエールは一個の司祭であり、またそれでしかないだろう」とはコンドルセの言葉。
『機械の中の幽霊』でアーサー・ケストラーが問題視したのも、この種の偏執的な独断だった。
(ただ、啓蒙思想だって宗教じゃん、みたいな批判精神自体が、そもそも啓蒙思想の産物だから、
その点で、絶対的で統一的なものを目指さざるを得ない宗教よりはマシだと思いますけどね。)
ちなみに、政治学者のカール・シュミットは、『政治的なものの概念』(未来社 1983)の中で、
フランスでジャコバン党が跋扈していた時代の、こんな会報の一文を紹介している。(p.51)


フランス人民がその意志を表明した以上、それに反対の者はすべて主権外の存在であり、主権外にあるものはすべて敵である……。人民と敵との間にはもはや、剣以外のなんの共通点もない。


「俺の主張は理性的だからそれに歯向かう奴はDQN。よって理解できない愚図は死ね」的な、
今でもネットの内外で見受けられる、この種の独断的な物言いは当初から根深く存在している。
「悪とは、本来純粋で無垢な内部へと外部から割ってはいるものである」という思想的潔癖症、
このエリック・サントナーのエピグラムは、啓蒙思想家のルソーやロベスピエールのジャコバン党、
それに、ヨーロッパと啓蒙思想を語るトドロフ自身にも見受けられる良くない傾向だと思います。


トドロフのこの本は、基本的に啓蒙思想の擁護に回り、ヨーロッパの歴史を肯定する。
18世紀の啓蒙思想家達はヨーロッパ中を経巡り、他者の中で自分の新しい思想を育んだ。
今でもそうだが、ヨーロッパは多くの国と地域に分割されており、異なる文化や制度、
言語、伝統、人種等々と同居している。この多様性、他者とのせめぎあい、戯れこそが、
ヨーロッパのアイデンティティであり、分割こそがヨーロッパの基礎的な力である。
この多様な他者との恒常的な接点が、一人よがりな伝統や断定、名声を即座に相対化する。
自身の寄って立つ伝統に対して批判的になり、他者の主張に対しても寛容さを求められる。
ヒュームを引用しつつ、トドロフはヨーロッパの歴史を、ひいては啓蒙思想を称賛するが、
二度の世界大戦を含む数多くの戦乱の歴史について、この作者は多くを語っていない。
それはこの本が、そもそも啓蒙をテーマにした展示会のパンフレットに過ぎないからだろうか。
posted by 手の鳴る方へ at 08:08| Comment(3) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

坑内の女リーダー

女友達と酒を呑んでいて面白い話になったのでブログに書く。
以下、女性が輪姦されるような官能小説の話題が中心なので注意。
続きを読む
posted by 手の鳴る方へ at 02:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

市場から顔を背けない農村

横石知二 『そうだ、葉っぱを売ろう!』(Softbank Creative)
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四国の山間部の町が、葉っぱを売るビジネスでスゴイ頑張ったという話。
内容については細かく触れない。どうせみんな知ってるだろうし。


思ったことを2つ。

まず1つ目。主に都市部に住むのであろう、五体満足な20代〜30代の若者どもが、
街頭で「生きさせろ!」と叫び、明日への希望も無い(らしい)ことを訴える一方で、
四国のド田舎では次世代のため、80代という高齢のお婆さんがモミジの苗を植えている。
そのモミジの苗は数十年後には葉を茂らせ、その葉は子や孫がつまものとして市場に出荷する。
都市の若者には明日の生活すら見えないらしいのに、田舎の老婦は十年以上先を見据えている。
何だこの顛倒ぶりは、と思うワケで、個人的にはこれを今の日本社会のせいにはしたくない。

仕組みと発破をかける人物さえいれば、高齢化の進む田舎でも市場で戦っていけるのだから、
「生きさせろ!」と言っている若い連中には共感できない。また、それをネタにして、党派的に、
市場主義やらグローバリズムを叩こうとする連中にも共感できない。というかイラッとする。
市場は残酷で人を人として扱わない、みたいな話は如何にもそれっぽい話なんだろうけれども、
この本の上勝町のケースを見る限りでは、むしろ市場と接することで華やぐ人生も普通にある。
恐らく人類史上でも、このような、市場と人間の華やかな関係は連綿と続いていたはずなのに。

「生きさせろ!」の連中には横石知二氏がいないのだ、いるのはゴスロリの似非知識人だけだ、
(あるいは秋葉原で無差別殺人を行い、結果的に政治を動かして派遣労働を変えた奴しかいない、)
と、そう言えばそれまでなんだけど、口を開けて公務員の活躍を待つだけ、ってのはどうなのかね。


2つ目。農村、というか過疎地を経済や市場主義の外側に置こうとするのは明確に間違っている。
市場主義は人間疎外の原因であり、非本来的な生き方であり、マネーや会社中心の場所であり、
工業化・都市化は自然を破壊し、生命の基礎部分である食料を農村に頼っているから正しくない、
農村はそんな乾ききった関係とは別の仕組みで動いている、人間の本来的な生き方がある ――
という類の、農村=プライスレス的な視点をまず放棄するべきだ。山下惣一氏とかは特に。

都会からのIターンやUターン組、老後を田舎で送ろうとする年金生活者達も重要だろうが、
過疎化を防ぐ最も効果的な処方箋は市場化だ。活気があれば人もモノも金もメディアも集まる。
中央省庁からのドーピング的な公共投資、補助金援助は根本的な問題解決にはならない。
村が都市と肩を並べるためには、市場を否定して甘美な田園風景の幻に引き篭ることではなく、
たとえ過疎地であり、高齢者の町であったとしても、市場で名を馳せることが肝要だと思います。
そのとき初めて都市は内面的に相対化され、村の新しい価値観が現れるのだとも思います。


要するに経済って大事だよ、蔑ろにすればいいってもんじゃないよ、と言いたいだけです。
posted by 手の鳴る方へ at 07:53| Comment(3) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

『否定弁証法講義』

アドルノ 『否定弁証法講義』(細見和之・河原理・高安啓介 訳 作品社)
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1965年冬、アドルノ後期の主著である『否定弁証法』はまだ完成していなかったが、
その内容についての講義は行われていたから、その講義の録音テープを文書化した本。
『否定弁証法』の入門書かと言えばそんな感じでもない。(どっちもワケがわからない。)
まぁでも、こっちの本の方が安いから、本一冊に約7000円も出せない人にはお薦め。


「こういう言葉使いで考えたら、世の中ってすっきりと説明できるよね」みたいな、
「この哲学を修めれば、他の主観的な意見なんか一蹴できて優位に立てるよ」みたいな、
そういう世界の万能薬的な役目を哲学に求めるな! そんな時代じゃねぇんだよもう!
そもそも一つのラチオ、一つの視点、一つの体系で森羅万象が語れると思っているのか!!
と、こんな感じの内容。デリダやポスコロのサバルタンを彷彿とさせる箇所が幾つもある。
ヘーゲルの「無規定的なもの」と、概念化された「無規定性」に関する論述なんかは特に。


ハイデガーがどこかで書いていたが、ロゴスとは「拾い上げる」「集める」という意味で、
ロゴスによって何かが色々と拾い上げられるんだけど、その拾い上げられた個々のモノは、
どれも同じかと言えばそうでもなくて、それどころかお互いに対立し合っていたりもする。
ロゴスは拾い上げる際に、一方的・暴力的な側面を見せることがある。ロゴスさんマジやばい。
ゆえに西洋の理性主義には暴力が潜んでいる。「理性的」とは「非暴力的」とイコールでは無い。
それはヘーゲルの観念論的弁証法だろうが、サルトルの典型的な唯名論だろうが同じことだ。
だから理性に基づいて肯定された、統一的な、見通しのイイ世界を無邪気に肯定すべきではない。
とは言え私達はロゴス無しではそもそも何もできない。眼を閉じたままで世界は認識できない。
ロゴスは世界と私達を暴力的に遮断する壁であり、それでいてなお、世界そのものでもある。
前期のウィトゲンシュタインは「語りえないものは沈黙しなければならない」と述べたが、
アドルノはそれに反し、語りえないことを語ること、壁の向こうを語ることを哲学の使命とする。
ニュアンスとしては事象それ自体において語らせる、と言った方がイイのかもしれないが。


弁証法とは、哲学と異質なもの、哲学にとっての他者 ――先取りして言ってよろしければ――非概念的なものを、哲学の中に取り込もうとする試みを表しています。それはヘーゲルの意味では、非同一的なものの同一化ですが、私がみなさんに示している問題設定の意味では、非概念的なものを取り込むというよりもむしろ、非概念的なものを非概念的なあり方で把握することにほかなりません。(p.100)


非概念的なものを巡る、ヘーゲルの弁証法とアドルノの否定弁証法との違いが端的に現れている。
現代思想はこの手のアポリアが大好き。ヘーゲルにも似たようなところがあるけれどね。
客観的な科学を気取って世界を解釈したり、世界を改変することを夢見たりした時代の後で、
哲学は考えることそのものを問い詰めて、というか自分で追い詰めて延命を図ろうとしている。


そもそも哲学的に思考されていると言えるのは、思想が的を外しうる場合、誤りを犯しうる場合だけなのです。哲学的思想に何事も生じえなくなる瞬間に、すなわち、思想がすでに反復の領域、たんなる再生産の領域に根を下ろした瞬間に、すでに哲学は自分の目標を見失ったことになるのです。(p.147)


「真理は我々から逃げ出すことはできない」というゴットフリート・ケラーの格言を、
ベンヤミンと同様、アドルノも批判する(p.205)。哲学は誤りうるし、真理は逃げ出しうる。
そしてそこにしか哲学はあり得ない、というアクロバティックは如何にも現代思想っぽい。

私個人も、現代思想をネタに同じようなことばかり再生産しているような気がしますが、
そういう軽さって面白いですよね。不可能性ばかりを語っても仕方ない気もしますし。
posted by 手の鳴る方へ at 01:31| Comment(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

ボケノートクロニクル9 〜現代の人間関係〜

ファスナーの船 (鈴木康広 2004)

終わって久しいネット大喜利サイト「ボケノート」に投稿されたボケを、
みんなが忘れた頃になって、主観的な見地からピックアップするコーナー。
上の作品、巻き戻してるときの方が面白いと思うのは私だけだろうか。


今回のテーマは現代の人間関係。
個々人のキャラクターというより、関係そのものの微妙なスタンスが肝。
ギクシャクした関係は笑えます。また、笑い飛ばすくらいの余裕は欲しいところです。

まずは人間関係の基本、家族から。
「すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である」
と言ったのはトルストイの慧眼で、『アンナ・カレーニナ』の冒頭部分からの引用だけど、
大喜利的には幸福ゆえに退屈な家庭よりも、不幸ゆえにグダグダな家庭の方がイイ感じです。

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【Page75】
深夜、テレビで『世界陸上』を観ていた僕におかんが一言 (KEL)

[ 1位 ] ぺこ
「へ〜陸上に興味があるんだ〜」と言いながら僕に近づいてくる新しいお母さん


【Page134】
プロ野球選手はたいていホームランを打ったらガッツポーズしますよね。
では住職はどんな時にガッツポーズする? (そこどけグランパ)

[ 1位 ] 茶葉  
再婚相手の連れ子が初めて「お、お坊さん」と呼んでくれた


【Page176】
左利きだったことに感謝する場面とは? (モモ)

[ 1位 ] nesty  
半年も口を聞いてなかった親父が「なぁ、左利きってどんな感じだ?」と話題をふってくれたとき


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何がスゴイって、全部1位なのがスゴイ。鉄板ネタのようです。
【Page176】のネタなんかは、ハッピーエンドな感じはしますよね。
映画なら家族再生の話になりそう。大喜利にハッピーエンドもクソもないけど。

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【Page588】
『人生ゲーム』このマスには止まりたくなかった! (藤原洋介山)

[ 2位 ] ローテンション (六級)  
父親の数だけ進む


【Page430】
さすがに「のび太のくせに生意気だ!」と言いたくなる言動 (鬼子)

[ 3位 ] 殺人茸  
2階で食うよ


【Page323】
毎晩ちゃぶ台をひっくり返すガンコ親父が、今日はおとなしく晩ご飯を食べた理由 (ヌコッティ)

[ 11位 ] くそむぞん  
妻に人生をひっくり返された


【Page54】
原始人が火起こしに疲れたときにとる行動 (烈太)

[ 15位 ] 茶飲み友達
火起こしにくたくたになって一人のアパートに帰ってくると、
年老いた田舎の母から「そろそろいい人はできたかい?」って留守電に入ってる


【Page164】
修学旅行で北極に行った時の一番の思い出 (なめろん)

[ 1位 ] 抱きしめたトゥナイト (初段)  
母親が湯たんぽの写メールを送ってきた


【Page608】
目の手術を受けた少女が包帯を取って最初に見た光景 (山梨)

[ 7位 ] ポルポトノヨリポト (八級)  
涙ぐむ両親、チップをかき集めるディーラー


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湯たんぽの写メールは普通にイイ話。それが一番の思い出かよ、とは思いますが。
あと、最後のネタは多分、手術が失敗する方に全財産を賭けちゃったんだろうね。
次は同じお題から三つ続けて。

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【Page307】
幼稚園児たかし君が積み木を嫌いになった理由 (きっと)

[ 3位 ] 梅吉 (十級)  
笑顔の先生から受け取った積み木の湿り気で、僕への緊張感がわかったから

[ 17位 ] emi61 (十級)  
家族みんなステーキなのに僕だけ積み木

[ 22位 ] にーにー姫 (一級)  
「積み木の野郎ッ!」

と叫び家を飛び出したお父さんが、植物人間となって帰ってきた


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幼稚園児には辛すぎる現実ばかりです。17位のネタなんて外から見えにくいDVですよ。
ストレートな不幸よりも、間接的に現実の嫌らしさを表現するほうが点数は高い感じです。
次は級友とか友人関係。まずは同じお題から1位と2位を。

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【Page83】
突然、好きな子が喋りかけてきた。嬉しかったけど、ショックの方が大きかった。そのショックとは? (ベビーカステラ)

[ 1位 ] どん君
俺が返答するたびにトランシーバーに向かって「だそうです」と言う

[ 2位 ] 平等院
ちょうど借り物競争の真っ最中らしく、私が野菜かどうかをききにきた。


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まぁ、このお題ならイジメっぽいネタになりますよね。
あるいは本当に野菜かもしれない可能性もありますけれど。
いじめられッ子も、トルストイの言うように、それぞれの仕方で不幸なのです。

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【Page211】
サトシ君の将来の夢は宇宙飛行士。
そんなサトシ君の日々怠らない努力とは? (あや)

[ 41位 ] エクス屏風  
クラスみんなからいじめられて、先生から愛想尽かされて、独りぼっちになったって、宇宙から見た地球の事だけを考えて今は笑う


【Page246】
完全にムダな夏休みの過ごし方 (ヌコッティ)

[ 1位 ] 地下鉄サム  
遊んだ友達の日記にetc.と略される

[ 10位 ] モチヅ250 (二級)  
「別に死んでもいいのになあ」と思いつつ千羽鶴を折り続けた


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モチヅ250さんもボケノートの名手。この方のネタも今後、何度か取り上げるでしょう。
こういう毒のあるボケと言うのは、リアリズムを追求したところにある気がします。
現実が奇麗事のベールで隠したその奥に、そういう詩的な嫌らしさがある気がします。
最後に恋人との関係や、その他色々。

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【Page402】
電車の中でおじいちゃんに席を譲ったら起きた最悪の出来事 (近藤)

[ 2位 ] 茶レム (五級)  
面接官「おや、今朝の偽善者じゃな」


【Page148】
駄菓子屋の最近の悩み (Mosquito)

[ 7位 ] 伝七  
時代の流れに乗ってヤフーオークションに出品し、落札者に「はい、500万円になりますね」って往年のギャグをメールしたら『非常に悪い出品者』の評価を付けられた。


【Page357】
年間100枚のレッドカードを集めたサッカー選手はこうなる (ヌコッティ)

[ 31位 ] 栗 (肆段)  
ジャンケンで負けた子供と手をつないで入場する


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今までのセオリーなんて通用しないのです。不況やネット社会が悪いのです!
そりゃ「生きづらさ」が大真面目に語られ、論壇の飯のタネになるわけですよ!!
こんな世の中じゃ、【Page357】の自業自得な感じがピュアに思えてきます。
子供にしてみればちょっとした罰ゲーム感覚ですよね。

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【Page370】
世界地図を見て気づいた新発見 (アメリカの商人)

[ 1位 ] tajii (十級)  
別れた彼女の留学先がどこにもない


【Page277】
世界一アホなテロリスト集団が起こしたテロ行為 (あじあん☆ていすと)

[ 5位 ] モチヅ250 (二級)  
こんなに殺してるのに彼女はロックバンドに夢中


【Page605】
雨の日が1ヶ月続くと (超合金うんこ伊忍道)

[ 25位 ] タラコ (八級)  
「傘とお金に続いて、あたしは三位くらいかしら」と彼女とギクシャクする


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男目線のボケばかりになってしまいましたが、女性の方がしたたかで強い感じ。
テロを起こしても振り向いてもらえない男と、振り向かない女という図式はイイ。
posted by 手の鳴る方へ at 07:09| Comment(2) | ネット大喜利・小咄板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

『ニーチェとヴェーバー』

山之内靖 『ニーチェとヴェーバー』(未来社)を読む。

目的合理性を称える、単純な近代主義者としてのウェーバー像に否を唱える意欲作。
キリスト教中心主義、ヨーロッパ中心主義、そこから派生する合理主義、ある種の普遍主義、
そういう類の考え方をウェーバーはきちんと批判してたよ、ニーチェみたいにね、という内容。
まぁ、人類の大半にとって、心底どうでもいい内容であることに異論は無いだろう。


代議制民主主義や資本主義、官僚制、科学主義などに代表される近代の枠組みは、
脱呪術化や生活環境の向上等、多くの利点もあったけれど、欠点も多々あるのも事実。
以下の引用文なんかも、近代の疎外論や物象化論の系譜に位置づけられる話ではある。


ウェーバーによれば、近代世界における目的合理的組織形態は、合理的経済計算に立脚する資本主義企業を一方の極とし、専門的法律家としての訓練を受けた官僚からなる公行政を他方の柱として成立するのであるが、この両者によって推進される社会関係の客観化は、非人格的であると共に合理的に機能する「マシーン」をもたらす。製造業における「死んだ機械」と官僚組織の「生きた機械」は「鉄の檻」と化し、かくして、形式的に組織化された行為領域は「生活世界」から劇的に隔離される。(p.185〜186)


この手のポストモダンの話というのは、近代化の負の側面に対する怨嗟・愚痴のようなものだ。
ウェーバーはこの件について、西洋発の近代化・合理主義を社会科学として「普遍化」しつつも、
一方で近代そのものには本質的に負の側面が備わっており、改善不可能であるという立場を取る。
近代を徹底化したり、そこに巣食う後天的な悪性腫瘍を除去したり、パッチを貼ったり、
革命を起こしたり、新しい思想や制度改革が実現されれば大丈夫という楽観論には立たない。
「鉄の檻」とはそういうことで、この近代観の中で、ウェーバーはニーチェと関係付けられる。


われわれは、すべてが次第に下へ下へと向かってゆき、より稀薄なもの、より善良なもの、より利口なもの、より気楽なもの、より凡庸なもの、より冷淡なもの、より中国的なもの、よりキリスト教的なものへと下ってゆくのを予感する。・・・・・・ここにこそヨーロッパの宿命がある。(p.34)


と、こう述べるニーチェの言葉とウェーバーは呼応する。作者の山之内靖によればね。
一見わかり難いのだが、ニーチェも近代の見通しは暗いと警告し、人類の退化を予感している。
ニーチェは言わば逆ダーウィニストで、この件についてはクロソウスキーがこう述べている。
以下は 『ニーチェと悪循環』(兼子正勝 訳 哲学書房)p.316〜317 強調やルビは省略。


ニーチェはダーウィンの自然淘汰の概念を、現実におこなわれる選別 ――それは、生の意味と価値を危険にさらす人間たちの支配をもたらす―― の歪曲であるとしてしりぞけるのだが、そのときニーチェが感じていることは、ダーウィン的な淘汰が、平凡な存在たちを、強く、豊かで、強力な存在たちのようにみなしてしまう点で、集団性と共謀しているということである。それに対してニーチェ自身の考えでは、強い存在たちとはほかならぬ例外的な個別的ケースのことであり ――これまで実際には排除されてきたものたちのことなのである。ダーウィンが提示した選別はブルジョワ道徳と完全に一致する。それは外部の、科学の陰謀、制度の道徳であり、それに対抗してニーチェは〈悪循環〉の陰謀を企てるのだ。


ここで対比されている、共謀する集団性と個別性の図式は、ウェーバーの著作の中にも見出せる。
『古代農業事情』等に現れる、王権と手を結んだ司祭階級 vs 軍事貴族=戦士階級の図式である。
(両者の性格については割愛。山之内靖 『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書)が参考になる。)
ウェーバーは、エドゥアルト・マイヤーの著作を参考に、オリエントやイスラエルの古代史を、
戦士的な市民層が司祭階級の権力支配に圧倒されていくものとして捉え、それに対比する形で、
ギリシアでは、司祭階級による支配は実現せず、非宗教的で世俗的な文化が凱歌をあげたとする。
まぁ、でも結局は、その後ギリシアのポリス世界が帝国化し、オリエントを巻き込んでいく中で、
かつては退けた司祭階級の神政政治に取り込まれ、「鉄の檻」へと自らを閉じることとなるのだが。
で、この図式、近代化の中で官僚制が世界を席巻し、「鉄の檻」を広げていくのと同じくしている。


現代において司祭階級は、その宗教的性格を拭い去った姿をとって、すなわち知的テクノクラートないし学者として現れる。かつて古代世界において司祭階級と激しく争った軍事貴族=戦士階級に相当する社会層は、現代において、いかなる姿をとって現れ得るであろうか。(p.232)


と、作者の山之内靖は意味深なことを述べているが、最後の自問については具体例を挙げていない。
まぁ、ギリシアを範型とする軍事貴族階級の生(レーベン)の態度、宿命観念がそれっぽい解答で、
一言で言えば「男らしく耐え」ろ(『職業としての学問』)という、身も蓋も無い話なのかも。
言わば、形而上学的な神に従い、安定的だがルーチン化した、抑圧された生を送るのではなくて、
逆にこの世を神々の闘争の場と捉え、その中で自身の個別性を賭けて闘え、ということだろうか。
ここら辺はウェーバーよりもむしろニーチェの方がまだ親しみやすい話ではあるのだろうけれど。
あるいは、ウェーバー自身は禁欲的プロティスタンティズムと結び付けているが、企業家なんかは、
軍事貴族階級的な性格を含み持っているかもしれない。この本の趣旨とはやや外れる話だが。
posted by 手の鳴る方へ at 07:15| Comment(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

どうも、漫画ソムリエです

ギャハハハと笑う女性は基本的に全て怖いという屁タレな私ですが、
園内でヤンママのAさん(ギャハハハと笑う)と話す機会がやたらと多い。
送迎や待ち時間、駐車する場所、諸々の行動パターンが似ているのだろうね。
前にも書いた気もしますが、接し方がわからないのです。異文化交流なのです。
子供という共通の話題があるにもかかわらず、会話の空転率が半端ないのです。

で、随分前に「最近、スゲー暇なんだよね〜」と、ちょっと意味ありげなことを言われて、
性格は意味不明なんだけど顔は綺麗だし、人妻だけど若いし母親としてもマトモなので、
やや下心ありで「ドライブでも行きますか」と誘ったら「いや、そうじゃない」と一蹴。

んで、話を聞いてみると、要するに「何か面白い本とか持ってない?」ということらしく、
仕事や家事の合間に半端な暇ができるらしく、時間を潰す本を貸せ、ということらしい。
で、どうせこいつは漫画しか読まないだろうという偏見100%で私が選んだ本がこちら。


羅川真里茂 『赤ちゃんと僕』 (白泉社)
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もちろん全巻。これは我ながらベストチョイスだと思うのですよ。
漫画ソムリエなら2級は確実。田崎真也も納得のおもてなし。

で、つい最近、全巻読み終えたそうで、わざわざ自宅まで持って来てくれまして、
人ん家の玄関先で、開口一番「あの夢精とか精通の話がよかった」とか言いやがりました。
個人的には全然アリですし、その話題で盛り上がるのはウェルカムですが、TPOってあるよね。

『赤ちゃんと僕』の話の中に、主人公のクラスメイトで、少し女っぽく見られる子がいて、
その子の父親は船乗りか何かで単身赴任中、普段は家に母親しかいない、そんな中で夢精。
母親には相談できないから、(何故か)主人公の父親に相談しました、みたいな話があって、
少女漫画って、たまにそういう異物のようなテーマを真正面から取り扱うからビビる。
今みたいに腐女子的(=反腐女子的)な視線がキツイと、夢精の話はまともに描けないだろうね。
『赤ちゃんと僕』は他にもお局様や嫁姑、大家族、女に勝てない男の話とかもあってお勧めです。

Aさんの子供は夫の祖父に似ているらしい可愛い男の子。
母親として息子の将来について思うところがあったのでしょうね。
親に向けられた性教育として、この話はとても参考になるんじゃないかと思います。


で、Aさん、帰り際に「また何か貸して」とほざきやがったので、
漫画ソムリエは自信を持ってこちらの漫画を貸し出しました。


田丸浩史 『ラブやん』(講談社)
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ええ、精子つながりです。Aさんの夫が殴りこんで来やしないかとヒヤヒヤしてます。
セクハラで訴えられたら負けるかもしれません。漫画ソムリエどころか人として失格です。
でも、これを読んで、母親として息子の将来について思うところがあれば、望外の喜びですよ。
posted by 手の鳴る方へ at 07:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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