2008年10月28日

もはや路上からは何も生まれないって?

ゆず生誕の地「横浜松坂屋」が10月に閉店解体-144年の歴史に幕
ヨコハマ経済新聞 (2008年6月24日)


加太こうじか誰だったか忘れたけれど、確か「黄金バット」関係の人間が、
昭和末期、「もはや路上からは何も生まれないだろう」としたり顔で言ったらしい。

そのように言った人間の脳裏には、恐らく昔の路上の雑多とした光景があったはずで、
それは香具師やチンドン屋、紙芝居等の大道芸人が、許可無く商売を始めるような、
そういうエネルギーが路上から消え去ったということを言いたかったのだと思う。
昭和30年代の地域新聞や町内会報を見ていると、ゴミをポイポイ路上に捨てるなとか、
勝手に路上に商品を広げるなとか、酒を昼間から飲むな、売るな、自粛しろとか、
路上には「古き良き日本」の美しい光景が広がっていたようで、これがやたらと面白い。

「路上からは何も生まれない」と語った人が予想していたかは知らないけれど、
日本の、特にデパートなんかが建っているような一等地の路上は、夜の顔を持つようになる。
人通りの絶え始めた21時頃になると、どこからかギターを片手に若者が集まり、
降りたシャッターの前で歌声を披露したり、押し黙ったままギターを弾いたりしている。
四国かどこかで、スティールドラムをズラッと並べて演奏していた奴も見たこともある。
他にも夜の路上には、リフティングの技を披露する者や、スケボーの練習をする者が表れる。
いまだに相田みつを的な書やイラストを描いたりするのにはさすがに辟易するけれど、
そこには消尽されるエネルギーがあり、都市の空白へと潜り込もうとする力が蠢いている。

路上文化という意味では、ゆずの登場とその後の堅実な活躍は一つの成果だったに違いない。
だから、「もはや路上からは何も生まれない」と言い放った昭和の言い分は間違っている。
もっと大仰なことを言えば、つい最近も、ゆず以上に大きな成果が路上からは生まれていて、
ガムテープで描かれた新しいゴシック体の、いわゆる修悦体なんかは路上の寵児だと思う。
この字体の誕生で、平成の路上文化は、偉そうな顔をしがちな昭和の顔に冷や水を浴びせた。
こういうことのできる人間がいる限り、老舗デパートが時代の流れの中で閉店しようとも、
路上はずっと表現の場としてあり続けるだろうと思います。
posted by 手の鳴る方へ at 07:16| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月10日

ボケノートクロニクル11 〜シンプル〜

わしは死ぬことなんかちっとも怖くない。焼かれて骨になってもわしはわしや


終わって久しいネット大喜利サイト「ボケノート」に投稿されたボケを、
みんなが忘れた頃になって、主観的な見地からピックアップするコーナー。
上のは、保坂和志が初期の評論集『アウトブリード』で評価した、井村宏次という人のセリフ。
「迷信も科学も合理主義も神秘主義もまとめてフッ飛ばしてしてしまうような、シビれる言葉」
とは、保坂和志の賛辞。というか保坂先生はそろそろ小説書いてください。もう10月ですよ。


今回のテーマは「シンプル」。ベタとは似て非なる、レトリックの王道です。
ワンフレーズだったり、大喜利では不利と言われている名詞のみでのボケだったり、
あるいは発想そのもののシンプルさだったりする、直球勝負で好印象なボケがテーマ。

まずは5文字以内のボケをピックアップ。

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【Page323】
毎晩ちゃぶ台をひっくり返すガンコ親父が、今日はおとなしく晩ご飯を食べた理由 (ヌコッティ)

[ 3位 ] ユニバーサル百姓  
あとでやる


【Page174】
階段の発想がなかった時代に人が高い所に上る為に使っていた手段 (千春)

[ 22位 ] 山間部  
盛り塩


【Page209】
20年ぶりの小学校の同窓会。
一番の驚きとは!? (亜蓮)

[ 6位 ] ころころ  
窓越し


【Page54】
原始人が火起こしに疲れたときにとる行動 (烈太)

[ 6位 ] 駄美手
進化


【Page231】
まさお君は授業参観に来た母のせいでとても恥ずかしい思いをしました。どうして? (茄子の妖精)

[ 21位 ] Kagem (二級)  
鍵を閉めた


【Page565】
この夏一番の砂浜に打ち上げられたすごいもの (梅吉)

[ 22位 ] そこどけグランパ  
交通弱者

[ 30位 ] 花中島  


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交通弱者という言葉は、色々なイメージができる面白い言葉ですよね。
遅刻の言い訳とかにも使えると思いますので、徒歩で通勤の方は是非。
30位のネタも、青い浜辺を見て、青色の抜けた海を見て二度ビックリです。

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【Page361】
船に氷山がぶつかったその後、船長が冷静に取ったある行動とは? (機動BOX)

[ 13位 ] カモツ列車  
質問タイム


【Page367】
猫好き100人に聞いて1人しか答えなかった猫の魅力とは? (ハービィ)

[ 11位 ] 臓器エモーション  
絶対正しい


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100人いれば1人くらい狂っててもいいよね。

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【Page381】
「かわいい子には旅をさせろ」と言いますが
ブサイクな子には何をさせればいいでしょうか? (てふてふ)

[ 23位 ] あじあん★ていすと (五級)  
土のう


【Page347】
ティッシュ1枚でできる最もすごいこととは? (デカ丸)

[ 43位 ] かぎもっち2号  
無駄な抵抗


【Page502】
ロシアの名作文学「三人姉妹」の名場面 (鬼子)

[ 32位 ] bluevelvet (三級)  
溶接


【Page524】
お盆に先祖がやってること (夏風亭小夜)

[ 49位 ] 7号機 (七級)  
敗者復活戦


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現世で惜しくも死んでしまい、出番が終わった連中を救済します。
実はこっちの方が本編より盛り上がってたりするんですよね。
次は小細工なしの直球勝負なネタ。

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【Page314】
空港を発った飛行機が引き返してきた理由 (ヌコッティ)

[ 4位 ] ぽすたー (九級)  
つい


【Page86】
トライアスロンの最中、選手が考えてはいけないこと (KEL)

[ 2位 ] き渇のアニケ
前の人を抜かすと、その人はいやな気分になる

[ 15位 ] 九十九
死ねば楽になれる。


【Page267】
ビールかけでしてはいけない暗黙のルール (自信ない)

[ 10位 ] れおん(甘党)  
優勝してない


【Page430】
さすがに「のび太のくせに生意気だ!」と言いたくなる言動 (鬼子)

[ 29位 ] 緑茶カテキン  
幸せ


【Page457】
刑務所の模範囚は、こんな単純な理由で選考されていた (なかやまふうぞ君。)

[ 18位 ] chocobo  
無罪


【Page521】
大工が苦悩した依頼主の無茶な注文 (ぷ骨)

[ 4位 ] コジュリン (五級)  
木を返せ


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一見すると安易なんだけど、ベタネタじゃないところがポイント。
一歩間違えれば下位確定ですから、ネタのチョイス以上に投稿する勇気が凄い。
「つい」とか「幸せ」とか「無罪」とか「木を返せ」とかの短いネタには、
もうちょっと何か書き加えたくなるモンですが、それをしてないのがイイ。
最後に、10文字以内のネタを幾つか。

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【Page356】
最悪に出来の悪い肝試し大会 (にーにー姫)

[ 2位 ] 官房ルーシー (七級)  
結局は飲む口実


【Page9】
いつもは寡黙な父が、思わず声を発した場面 (BO-z)

[ 27位 ] デカ丸
ジェスチャークイズ


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【Page356】のネタは秀逸。出来の悪さも酒のネタになるから想定内なんだろうね。
【Page9】のは、あるあるネタかもしれないが、これはもう少し評価されてもよかった。

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【Page173】
囚人に大人気の拷問。その内容は (手の鳴る方へ)

[ 29位 ] 虎鶫 (三級)  
仕上げはお母さん


【Page211】
サトシ君の将来の夢は宇宙飛行士。
そんなサトシ君の日々怠らない努力とは? (あや)

[ 7位 ] 西さん  
開けたら閉める


【Page326】
仏さまが一度目で怒った悪さとは (がちゃぴん)

[ 13位 ] リキュール  
クーリング・オフされた


【Page59】
砂漠で迷子になったとき、蜃気楼でオアシスの代わりに見えた物は? (劔)

[ 1位 ] てん
第二走者


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最後のネタは納得の1位。助かりたい気持ちでいっぱいいっぱい。
脳が暑さにやられて、シュールとリアルが渾然としてます。初期の傑作。
posted by 手の鳴る方へ at 02:10| Comment(0) | ネット大喜利・小咄板 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月05日

『ガストロノミ』

ジャン・ヴィトー 『ガストロノミ』(佐原秋生 訳 文庫クセジュ)
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ガストロはギリシア語で「胃」のこと。
それに「〜の法、〜の習慣」という意味のノミアを足してガストロノミ。
ガストロノームといえば美食家。海原雄山(北大路魯山人)みたいな人のこと。
とは言え、個人的には、現代の日本で一番のガストロノームは小泉武夫だと思う。
この本を読む限りでは、ガストロノミとは芸術家というよりも研究者だと思った。
ちなみに作者のジャン・ヴィトーは、胃腸専門のフランスのお医者さんだそうだ。


アスパラガス料理はワインよりも水が推奨されるとか、
山鴫にはとりわけブールゴーニュの赤ワインがイイとか、
伊勢海老はメイン州産よりブルターニュ産が好まれるとか、
古代ローマ人は寝椅子で身を起こした姿勢で食事をとっていたとか、
帆立貝を香草と混ぜる場合、味を台無しにしないように気をつけろとか、
コリアンダーやエストラゴンは、分量を間違えると胸をムカムカさせるとか、
昔の欧州では、牛は都市や城館で食べられ、豚は田舎で食べられたとか、
予言でおなじみのノストラダムスは、『ジャム概論』って本を書いていたとか、
理想的な会食者の数は、カントが表明したように3人以上9人以下であるとか、
アヴィニョンの法王(ヨハネ22世)は、白しか着ず、白しか飲食しなかったとか、
編笠茸とトリュフはアルポワのイエローワインと同じくらいポムロールとあうとか、
山羊のチーズは、ロワールの白ワイン(シュナン種・ソーヴィニョン種)とあうとか、
ルネサンス期の托鉢修道会は、それぞれドライフルーツと関連付けられていたとか、
もう、こういった具合の薀蓄がたくさん。というか、薀蓄しかないと言っても過言ではない。
イライラするんだけど、材料や地名や銘柄が列挙されるのは、読んでいると軽くハイになる。


われわれの野菜籠は、かつてのグローバリゼーションから生まれた、真のモザイクである。(p.50)


グローバリズムは別に20世紀に始まった現象ではない。それは常にあった。
料理はその中で様々に混ざり合い、改良され、進化し続けて来たと言える。
食文化は、その土地や国の固有性であると同時に、姿を変えた異文化でもある。
例えば和食のテンプラは、1600年頃にポルトガル人宣教師が大坂に持ち込んだ。
それを日本人が自分達の好みに合うように修正して、それが現在にまで至っており、
20世紀後半、ヌーヴェル・キュイジーヌの料理人によって逆輸入されることとなる。
モロッコ料理のパスティーヤも、元々はポルトガル人が持ち込んだモノだった。
また、古代ローマ時代、アピキウスのレシピの五分の四には異国の胡椒が使われている。
新世界が原産のトウモロコシは、家鴨や鵞鳥を強制飼育する際の餌に利用されているが、
それによってフランスの食文化には欠かせないフォアグラの生産が成り立っている。
トマトはメキシコから持ち帰られた。地中海料理には欠かせないものとなっている。
唐辛子はコロンブスが持ち帰った。インド料理や韓国料理に頻繁に使用されている。

モザイクを描いているのは食材だけではない。街に軒を構える料理店もモザイク状だ。
作者のヴィトーは、パリの真ん中にアフガニスタン料理店ができたと驚いてみせる。
資本と物珍しさが絡み合い、異国の家庭料理店が国境を越え、現れては消えていく。
食文化は国際政治と無縁だと言わんばかりに、人類の体内を駆け巡っている。
聖書に書かれていないという理由で、西洋社会の中で忌避されていたじゃがいもも、
生産の容易さも手伝って、その後時代を経るにつれ、西洋料理に確固たる地位を得た。
反グローバリズムでも武士道精神でも反米思想でも共産主義でも、コーラは美味しい。
軽薄な観念が差異を強調するその胸元で、胃袋は異文化の食べ物を歓待してやまない。

キリスト教の七つの大罪の一つである大食(gula)は、いつの時代もウヤムヤにされてきた。
ガストロノミは普遍的であると作者は言う。それは国や時代を超え、宗教や慣習を越えてしまう。
posted by 手の鳴る方へ at 08:27| Comment(0) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月03日

インドという新しい思想

約6億7000万人の有権者を抱える、世界最大の民主主義国家インド。
2045年には人口が14億に達し、しかもその半分、約7億人が25歳以下という若いインド。
人口の8割がヒンドゥー教徒だが、1億3800万人(世界3位)のムスリムも抱えているインド。
(この数は、1947年にイギリス領インドから分離独立したパキスタンのムスリムよりも多い。)
2400万人のキリスト教徒、1900万人のシク教徒、800万人の仏教徒、420万人のジャイナ教徒、
そして7万人のパールシー(ゾロアスター教徒)を含むその他の宗徒660万人を抱えるインド。
実際、ムスリムの大統領、シク教徒の首相、キリスト教徒の与党党首を戴いていたインド。
中間層の経済力が飛躍的に上昇し、単純なウィスキー消費量でアメリカを抜いたインド。
アメリカの人口の2パーセントを占め、アメリカの財の8パーセントを所有する在米インド人。
5大国以外には核不拡散の方針だったアメリカに、軍事用核施設保持を容認させたインド。


アマルティア・セン 『議論好きなインド人』 (佐藤宏・栗屋利江 訳 明石書店)
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NHKスペシャル取材班 『インドの衝撃』 (文藝春秋)
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哲学でインドと言えば、龍樹(ナーガールジュラ)や古代仏教が真っ先に思い浮かびます。
ヒンドゥー教の宗教書も、例えば井筒俊彦大先生が『意識と本質』(岩波文庫)の中で、
聖典の『バガヴァド・ギーター』について述べてましたね。まぁ、難しいんですけどね。
他には「これに比べればマキャヴェッリの『君主論』などたわいのないものである」と、
ウェーバーが評価したことで有名な、紀元前四世紀の『実利論(アルタシャーストラ)』、
最近ではポストコロニアムの文脈でのスピヴァク、サイードの『オリエンタリズム』もそう。
また、ガンジー主義や「カーマスートラ」等も、哲学の俎上に乗りそうなテーマではあります。
これらはつまるところ本や聖典、偉人譚であるワケで、本を読むのも哲学のウチだけど、
今のインドはどうやら哲学というか、政治学的に見ても面白い感じに生成しているようです。

センの分厚い本は、要するにインドは伝統的に多様性の国だよ、と繰り返し伝えています。
インド国内のヒンドゥー至上主義も、海外のインド=ヒンドゥー教って視線も嫌だそうです。
NHKの本も、最後の一文を「衝撃の深層は、インドの多様性の中にある。」とシメていて、
私みたいなポストモダンオタクが大好きな「多様性」が、今のインドにはあるらしいのです。


多様性や寛容という価値は、如何にも西洋的で、民主主義も所詮は西洋産だと言われるけれど、
センに言わせればそれは違う。センは本の中で、繰り返しアクバルという名の王について語る。
アクバルは紀元後1600年頃のムガル帝国第三代皇帝で、この君主は、政教分離的な制度を築き、
信仰の自由を認め、色々な宗教の美点を繋ぎ合わせた神聖教(ディーネ・イラーヒー)という
新宗教を興した(短期で失敗したが)。この君主が南アジアで、「何人も宗教を理由として干渉
されてはならず、だれもが自分に好ましい宗教を選び取ることが許されるべきである」と述べ、
ヒンドゥー教、ムスリム、キリスト教、パルーシー、ユダヤ教徒、それに無神論者までもが、
アクバルのもとでの対話の準備に勤しんでいた頃、ローマではジョルダーノ・ブルーノが、
汎心論的世界観を説いた異端のかどで、公の場で火あぶりにされていた。(p.140〜141)


プラトンや聖アウグスティヌスが孔子以上に寛容で、かれほど権威主義的でなかったと示す証拠はほとんどない。アリストテレスはたしかに自由の重要性について著述したが、女性と奴隷はその関心の範囲からは除外された。他方、ほぼ同時期、アショーカ王は、そのような排除を行わなかった。私が信ずるに、自由と寛容を支える基本的な思想は1000年にわたって西洋文化の中核にあったもので、アジアにとっては異物であるという主張は、完全に否定されるべきものである。(p.242〜243)


ここでセンは、私達アジアの文化はスゴイと偏狭なコトを言っているのではない。
アジアの文化を、彼ら西洋の文化から守れ、我々の文化は彼らの文化から独自であり、
彼らの近代性からも自由である、と、そんなことを言いたいワケでもない。全くない。
思想一般について、純粋に西洋的であるとか、インド的であると単純に言うことはできない。
センの関心はむしろ、開かれた、まさに彼が嫌うインドのステレオタイプであるところの、
カオスな、統一感のまるで無い多元主義へと向かっている。センは閉じることを危惧する。
外界から閉じることで純粋であろうとしたり、孤立主義を是とすることを危惧している。
センは人間や思想が国境を越えるグローバリズムを善しとし、「議論好きなインド人」の、
その開放性、理性に基づいて他者へ向かう志向性を善しとする。この汚染=混合的な傾向は、
セン本人よりも、彼が頻繁に引用するタゴールの方がより顕著かもしれない。例えば、


インドと言う観念は、おのれ自身の集団を他者からわけ隔てようとする根強い意識に反する。(p.132 p.214)

人間の手による生産物は何であれ、私たちが理解し享受するなり、たちまち私たちのものになるのです。それらの起源がどこであろうと。他の国々の詩人や芸術家を、私自身のものと認められるとき、私は、私の内なる人間性を誇りに思います。(p.214)

かれ〔タゴール〕は、『人間の宗教』のなかで、かれの家族が「三つの文化、すなわちヒンドゥー、モハメダン[イスラーム]、イギリスの合流」の産物であるとしています。(p.577)


と、いう部分。タゴールは20世紀のアジアの知識人として非常に興味深いですね。
中島岳志あたりがタゴールの本格的な本をうっかり書いたりしないですかね。
日本の保守の嫌う中国が、民主主義制度が不十分で思想的に家父長的・排他的だから、
それと対照的なインドは保守にはウケがいい、というかネタになると思うのだけど。
一方で、左派の明石書店がこういう本を出すあたり、やはりインド再評価の時ですよね。
posted by 手の鳴る方へ at 10:38| Comment(0) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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