2010年04月19日

政治は決定する

デフレ脱却にお金の循環が必要=菅財務相 2010年 04月 12日 17:07 JST

さらに、「場合によっては、増税をしても景気は悪くならず、逆に使い道を間違わなければ景気はよくなるということを部下に検証させている」と発言。しかし、「(政治家は)増税すると選挙に負けるというトラウマがある。この問題を選挙の争点として語る限りは(実現できない)」と述べ、国会などの議論を通じて与野党が認識を共有することが不可欠と強調した。


経済学にあまり詳しくないらしい、管直人・経済財政担当相の言い分を真に受けても仕方ないが、
<増税しても使い道間違わなければ景気にプラス>という発想は、政治家として致命的だと思う。
ここで語られている「間違いのなさ」は、政治的な正しさではなくて、客観的な正しさであって、
みんなが幸せになり、不満も少ない税金の使い方(それに徴収の仕方)の正解を意味している。

端的に言って、そんな理想的な一致点は恐らく無いし、あったとしても人間にはわからないだろう。
「私に税源と足場を与えよ。されば日本の景気を良くしよう」といった類のパロディならまだ面白い。
仮にそんなアルキメデスの足場があったとして、学者やスパコンがそれを導き出せるとしたら、
私達はその時、もはや政治も政治家も必要としないだろう。だから政治家として致命的だと言う。
スパコンではなくて管直人のみがその足場に立てる、現代の預言者ですから、的な話なら別だが、
実際はそんなことはあるワケがない。どちらにしろ凡人が政治を動かし、オロオロするしか道はない。


そもそも政治は、凡夫としての人間が、物事を決定するために用意した制度ではなかったのか?
正不正について意見の分かれる者同士で、それでも生きていくために政治はあるのではないのか。
民主制も君主制も、そのプロセスの正しさ、根源、根拠の正統性を担保に決定を行ってきたけれど、
それは客観的な正しさをついに知りえず、政治に導入できなかった故の苦肉の策ではなかったか。
そんな政治に携わり、大臣にまでなっている人間が、客観的な正しさを口にするのはズレている。
「使い道を間違えない」なんて言葉を使い、正解を希求する政治をもはや政治とは呼べない。
暗闇へと飛躍する不条理が欠けた政治、理性の断絶の無い政治になど名を与える必要はない。
何を残すべきか潰すべきかわからない、意見が分かれている中で行わざるを得ない事業仕分け、
例えばそれこそ、政治家が確固として存在し、政治的な決定の現れる場所なのだ、と私は思う。
posted by 手の鳴る方へ at 19:33| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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