2010年01月25日

『らいか・デイズ』

むんこ 『らいか・デイズ』(芳文社)
83226799.jpg


4コマ漫画雑誌で連載中の4コマ漫画だったはず。4コマ漫画の見本で筆頭という印象。
勉強はできるけど不器用でウブな(死語)小学6年生の日常を描いたり描かなかったりする。


今のところ9巻まで出ているんだけど、小学6年生のまま、正月ネタを4〜5回は繰り返している。
これは漫画にはよくあるループで、キャラクター達はつまるところ永遠に小学6年生のままだ。
が、担任が結婚して子供は生まれるわ、一度も出てきてないキャラが死ぬわ、生理が始まるわ、
ブラジャーはつけ始めるわ、産休の代理で新しい先生がやって来て、帰って、また戻ってくるわ、
そういう出来事はきちんと用意されていて、クラスメイトや両親や親戚やその他大勢の中で、
子供達はきちんと成長していますよ、的な、「4コマなのにいい話」的な傾向がとても強い。

永遠の小学6年生達が登場人物で、舞台も学校、家、町内、両親の田舎でほぼ占められている。
たまに一人で田舎に行ったり、遠くの図書館に行ったり、海や別荘やらには行っているけど、
閉じた環境が大半で、それでもなお成長というものが図らずも前面に出てくるのは面白い。

成長のイメージとしては、例えば教養小説(ビルドゥングスロマン)のようなモノがあって、
子供が旅の中で色々な人々と触れ合い、移動する距離が遠くなり、出来ることが増えていき、
肉体的にも心理的にもタフになり、やがて大人になっていく、みたいな流れを辿るのだけど、
この『らいか・デイズ』には、教養小説的な移動や成長、肉体強化、メンタル面の向上等、
その手の経験値アップはほとんど見当たらない。貧乳は貧乳だし、料理下手は下手のままだし、
テストで97点は97点だし、泣き虫は泣き虫のままで、つまりあるキャラはそのキャラのままで、
この手の漫画では当たり前なんだけど、初期設定のまま、変化というものが排除されている。


それでもなおそこに成長と呼べるものがあるとすれば、それは何だろうかとなるワケだが、
漫画表現における成長とは、必ずしも身長の伸びではないし、スキルアップでもないし、
移動する距離が伸び、見知った人が増え、今まで見えなかったモノが見えてくると言うような、
視野の拡大、世界の広がりというワケでもないし、通過儀礼というワケでも必ずしもない。
確かに新しい必殺技の習得や覚醒、ある種の親殺し、親離れ、そして教養小説的な旅物語は、
成長を分かりやすく、視覚的に読者に教えてくれるものではあるし、それはそれでいいけれど、
『らいか・デイズ』的な漫画には、もう少し別な成長の描き方、考え方があるように思われる。


前フリが長くなったが、例えばこのように言ってみるのはどうだろう。
成長とは無自覚なままに、ゆっくりと、自分自身へと収斂していく様のことなのだ、と。
コマを重ね、ページを積み上げ、巻数を増やしていくその中で、『らいか・デイズ』は、
登場人物たちを磨き上げ、ときには削ぎ落としつつ、より彼女ららしさへと近付けていく。
そこにあるコマは、新しい世界を開示し、その時間を過去や未来へと延長することもあるが、
登場人物たちは、未知の力や風景、敵へと分け入っていくよりもむしろ、既知へと擦り寄る。
時間の停止したその既知の中で、子供達は容姿やスキルはそのままに成長することが出来る。
だから『らいか・デイズ』的な物語は、物珍しいビルドゥングスロマンでもあると言える。
それは何者かになるのではなく、他ならぬ自分自身へとなるための、成長の物語なのだ。
posted by 手の鳴る方へ at 08:12| Comment(0) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。