2010年02月14日

『福祉と正義』

アマルティア・セン、後藤玲子 『福祉と正義』 (東京大学出版会)
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アマルティア・センの論文と、センの研究領域内で語られる後藤玲子の論文からなる一冊。
ロールズ批判から日本の生活保護への進言、カントの不完全義務、世代間の公共性問題など、
内容が主軸もないままに理論から応用、さらに別の理論へと拡散しており、とっつき難い。
それでもあえて一言で言えば、「開かれた政治・開かれた社会」についての本だと言える。
『グーテンベルクからグーグルへ』が、文献学の開かれた制度設計に関する本だったように、
この本は、政治や社会という制度を、開かれたものとして設計する筋道について考えている。


センが専攻とする社会的選択理論は、革命的な経済学者ケネス・アローが発展させた理論で、
ざっくりとその業績を説明すれば、「理想的な投票制度は無い」ということを明らかにした。
政策決定は、民主的でありつつ、個々人の多様な選好を集計して合理化することができない。
センの社会的選択理論における功績は、アローのこの不可能性定理を継承・発展させつつ、
アローも前提としていた近代経済学そのものへの批判、検討可能性を示した点にある。

そのセンの業績の、主要なものを解説すれば、近代経済学のタームである効用(utility)から、
福祉(well-being)への転換、その福祉を保障する潜在能力(capability)という概念を設定、
これによってより客観的(と言うより脱自己中心的)な評価、そして公共的な討議を可能とし、
人々の社会性や主体性を同時に尊重してみせる、という筋道を理屈の上で立てた点にある。

補足すれば、潜在能力とは、経済・学校・医療制度等によって社会的に保障される個人の能力で、
それらの(法的・道徳的)制度に不備があったり、そもそも公共的に認知されていないならば、
社会は、あるいは国際社会は、福祉の観点から何らかの対応を迫られるし、迫られるべきである。
そして何が保障されるべきか、誰が保障されるべきか、それを制度化する義務を誰が負うべきか、
誰の自由が実現され、誰の自由が制約されるのか、誰がそれらを決定するのかという問いがある。
それら困難な問題は、公共的理性に基づいて討議し、精査、識別されるべきであると考えられる。
「開かれた政治・開かれた社会」はこの場面において要請される。要するに、みんなで決めよう、
という小学校の学級会レベルの話を、全身全霊で――個々人の自由に配慮し、合理的であり、
民主的であり、なるだけ最善の決定であり、その「最善」とは何かについても思慮深くあり、
アローが示した公共的投票の限界を存知しつつ、「みんな」の範囲を不当に制限しないように、
そしてそのときに言う「不当」とは何かも考えつつ――やっているようなものと言えなくも無い。


これらのことを投票だけに押し付けるのが、そもそも無茶振りとも言える話なのであって、
現代の民主主義を、投票のような単一の制度的特徴へと還元すること自体が不穏だと言える。
民主主義において熟慮されるべきなのは熟慮そのものであり、道徳哲学や政治哲学が希求する、
公正としての正義は、開かれた制度設計に関する視線なくしては語ることなどできないのだ。
posted by 手の鳴る方へ at 09:11| Comment(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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