2010年03月10日

『オハナホロホロ』

鳥野しの 『オハナホロホロ』(祥伝社)
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女二人と子供一人で暮らし、毎日のように別階に暮らす男も紛れ込む、そんな生活の話。

気のおけない他人同士で暮らすことで、家族のイメージはもっと多元的なモノになるし、
他人と家族との境界線も不確かなものとなる。人間の関係というのは目には見えにくいし、
現在・過去・未来の中でその糸は複雑に絡み、変動するため、一義的に考えることは難しい。
家族と言うのは制度であると同時に常に一つの比喩であって、名前の無いものの総称なのだ。

ちなみにこの漫画には「家族」や「愛」なんて言葉は出てこない。子供の父親の名前も不明だ。
大人達は他人同士である、という自覚がある。だからメンバーの一人が異性の旧友と再会すると、
他のメンバーの一人は、旧友と彼女の関係が、友情より先の感情になるのではないかと心配し、
今の自分達の関係が終わってしまうのではないかと心配する。そんな切羽詰った心境の中で、
唐突に「結婚しよう」という話題になるのは、家族という比喩の力を当人が信用しているからで、
言い換えれば、そこにある具体的な(ように見える)関係性に頼ろうとしているからなのだろう。
そこで求婚された側が、実際の関係性、感情について諭すのは一つの見せ場としても面白い。
彼女達の関係はフワフワした名前の無い関係だけど、だからと言って冗談半分ではないし、
いい加減な感情で生きているわけでも全くない。フワフワした足場こそが彼女達のものなのだ。


人間関係は必ずしも帰る場所を用意しないし、「家族」という場所がそうであるとも限らない。
彼女達の帰る場所の名前は「おうち(お家)」であって、彼女達は「同居人」として振舞う。
ひびの入った関係性を修復する「ただいま」と「おかえり」は、その場所の上に成立する。
その場所の底は恐らく抜けている。その上で、彼女達の関係性は宙吊りのままに作用する。
そもそも人間関係に根拠などなくて、愛とか血縁だとかが、その空白に転がるだけだとも言える。



あと、話は変わるけど、ぬいぐるみ(表紙で子供が抱いてるやつ)の作中での役割だけど、
かわいい顔をして、ドロッとした大人のモノローグの相手役として描かれているのは面白い。
それを踏まえて表紙を見ていると、子供は大人の色んな感情を抱きしめて抑えているのだなぁ、
とかなんかとか思ったりする。この種のモノローグの表現方法って、女性作家特有なのだろうか。
少女漫画の、ぬいぐるみ相手に独り言を呟くシーンの延長線上にあるように思ったのだけど。
posted by 手の鳴る方へ at 06:16| Comment(0) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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