2010年03月22日

『貧困と飢饉』

アマルティア・セン 『貧困と飢饉』 (黒崎卓・山崎幸治 訳 岩波書店)
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大勢の人が飢餓状態になる飢饉の原因は、食料の有無と言うより、食料に手が届くかどうか、
手が届くようなインフラや法整備があるかどうかにかかっている、と主張するセンの代表作。
人口と食料供給量を比較して、後者が前者よりも多くても飢饉は防げねーから! という話。


話を身近にするため、この本、『貧困と飢饉』とは離れて今の日本の話をしてみたいと思う。

現代日本は飽食であるが、それでも年に一度は、餓死者のニュースを見聞きすることがある。
彼らは自身の労働力を有効に活用できず、社会保障制度からも滑り落ちてしまった人々だが、
仮に、コメの値段がもっと安ければ、彼らがより多くの白飯を食べていた可能性は高い。

減反廃止ならコメ価格半値に 見直しで試算、農政改革チーム 2009/04/22 23:43
http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042201000866.html


コメの値段が半額であったならば、彼らの困窮した生活はもっと改善されていただろう。
彼らは本当なら、もっと容易に、もっと安価に栄養を摂取することができたのではないか?
嫌らしいことを言えば、コメの保護貿易は、国民の福祉を悪化させる方向で働いている。
さらに嫌らしいことを言えば、「食の安全保障」の名目で食料自給率の上昇にこだわるほど、
巷に餓死者が増える蓋然性は高くなる。自給率は国民を餓えさせないための指標なのに、
「食料に手が届かない」状況に荷担しているように見える。政策として如何なものだろう。


話がズレてきたが、餓死は、個人の能力(労働力や購買力)や社会制度と大きく関わる。
歴史的に見れば、旱魃や冷害や戦争によって食料供給量が減少することは多々あったが、
それは必ずしも飢饉のトリガーではなかった。これがセンの権原アプローチと言える。
例えば(また『貧困と飢饉』から離れてしまうのだが)、こんな記事がある。


asahi.com (64)昭和の大凶作 2009年12月02日

この点で、昭和の大凶作について私が聞いた土地の古老の言い分は興味深い。古老のイメージでは、昭和初期には目屋はすでに飢饉のムラではなく、昭和の凶作は「大したことはない」のだと言うのである。伝え聞く天保の飢饉(1830年代)の地獄の惨状に比べると、昭和の凶作は「人が死んだ話は聞いていない」と言う。

すでに交通も経済も十分に発達し、飢えて死ぬまでのことはなかった。飢饉の時は高利貸でさえありがたく見える。そういったことかもしれない。



昭和初期の大飢饉は日本史上最悪の飢饉とされているが、餓死者は多くなかったと言う。
江戸期の飢饉と昭和の飢饉の違いを考えることは、センの権原理論の理解を深めるだろう。
昭和初期の飢饉は、近代化と資本主義化の二点で(ある意味一点だが)江戸期とは異なる。
つまり、@国民国家の成立による同胞意識、A新聞や電信を中心としたメディアの発達、
B鉄道が整備されたことによる物資運搬の簡易化などにより、昭和の東北地方の大飢饉は、
江戸期とは異なり、その他の地域からの、時機を逸しない援助物資を期待することができた。
権原概念は、個人や職業集団の能力だけでなく、このような相互扶助の可能性も内包している。
さらに、C工業化の発展により、農民はその労働力を非一次産業へと転化することができた。
ある種の「身売り」、あるいは時代はズレるが『女工哀史』的な工場労働が受け入れ先となり、
餓死は無いが、死ぬほど辛い労働によって生き長らえるという選択肢を得ることができた。
が、どっちがマシかは軽々しく口にはできない。選択肢があるだけマシ、とすら言いたくない。
ともあれ、一言で言って「近代化」が、飢饉に対する抵抗力となり、日本人の権原を拡大した。


国際問題としての飢饉、あるいは欠如、つまり貧困は、具体的な物資の有無を本質とはしない。
飢餓は貧困を原因とする。そして貧困は、そこに住む人々、職種の、権原の脆弱さの問題だ。
権原の保護のためには、経済成長、民主化、自由主義の導入などが有効な手段となるし、
それらについては、現今の経済学はある程度の成果や協力を果たしていると言えるだろう。
posted by 手の鳴る方へ at 06:25| Comment(0) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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