2010年03月23日

「須田家之墓」は何を意味するか

金田一蓮十郎 『ニコイチ』(スクウェア・エニックス)
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死別した彼女の子供を、血が繋がってないのに女装しつつ育てる男の話。
時は流れ、小6になった息子に、未だに自分が実は男だと言い出せないでいる。
しかも女装状態で彼女ができてしまうが、その彼女には男であることをカミングアウト。
今のところはその彼女と息子と自分(女装又は素顔)とで、仲良く暮らしてていい感じ。
しかしこうして書くと分かり難い。登場人物もワケがわからないと自嘲してたりする。
ちなみに作者は17歳で商業誌デビュー。処女作がアニメ化というリアル『バクマン』だ。


他人同士で家族を作る、という点で『オハナホロホロ』とよく似た構造になっていて、
子供の実父が作中に不在だったり、故人(の墓)も込みで擬似家族なのも似ている。
『オハナホロホロ』は墓参がラストシーンだった。『ニコイチ』にも墓参のシーンがある。
死んだ彼女には身寄りが無いため、結婚もしてない主人公の家族墓に勝手に入れられている。
(それはそれですごい話だと思うのだけど、意外なほどあっさりとそこは語られている。)
しかも事情を知らない小6の子供は、お父さんがそこに入っていると思って墓参している。
これって個人墓だと成立しない話だなと思った。というか家族の概念がぶっ壊れており、
その廃墟と化した家族概念、「須田家之墓」(主人公の苗字)と彫り込まれた墓石が、
彼らのデリケートな秘密を守り、それをきちんと肯定しているようにも見えるから面白い。
別の言い方をすれば、血縁という概念は、現代では家族のリアリティに関わっていない。


日本人は祖先や血縁を大事にするから家族墓だ、みたいな話があるのかもしれないが、
ガッツリ制度化される前は、節操無く個々人を「家族化」する装置だったのかもしれない。
(そもそも「縁」を、国や制度がサポートするという発想が私には不愉快なのだが。)
あと、主人公の彼女は再婚家庭で育ち、そこで「黒歴史」的な反抗期を過ごしていて、
こういうのを見ると、血の繋がりってやっぱ大事じゃん、と思うかもしれないけど、
大人になったらそれはそれで関係も修復しており、ちゃんと家族になっていたりする。
漫画として語り易いのは、そこにある感情や情念である、というだけの話かもしれないが。


話は変わるけど、田中小実昌が直木賞を取った『浪曲師朝日丸の話』という作品があって、
そこには広島の原爆孤児(女ばかり)を保護して生活する朝日丸と言う男が出てくる。
家族的な共同体を作っておきながら、その原爆孤児十数人と近親相姦的にセックスして、
ぽこぽこと子供を作ってしまい、困ったなぁ、みたいなエピソードがあって、こういうのは、
わかりやすいタブー破りではあるんだけど、この「他人と一緒に暮らすことの節操の無さ」は、
ある一面で日本的な気もする。それは善悪の彼岸にある、人間の非人間的な関係ではないか。
この無節操さによって「家族」は破られるというより、むしろそんなことは想定の範囲内で、
「困ったなぁ」と苦笑する、その時々の個々人を肯定する。それが「家族」じゃないだろうか。
posted by 手の鳴る方へ at 04:00| Comment(0) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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