2008年02月08日

伊藤整の『裁判』

伊藤整 『裁判 上・下』(晶文社)


 裁判(上巻)       裁判(下巻)
79496306.gif   79496307.gif


戦後間もなく、D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』の完全版を出版したところ、
それが刑法第百七十五条の猥褻文書販売に当たるとして、訳者と出版者が訴えられた。
その訴えられた当人の一人、訳者の伊藤整自身による第一審(東京地裁)のノンフィクション。
AMAZONのカスタマーレビューには、流行りの「国策捜査」と繋げてある評があるけれど、
伊藤整自身は、彼の人柄なのだろうけど、裁判官や敵であるはずの検察・検察官に対し、
特に悪くは書いていない。もちろん検察側の論旨・理屈には何度も突っ込んでいるけれども。


第一審の裁判の顛末は、伊藤整には無罪。出版者には罰金25万円。本書の内容はここまで。
ちなみにこれに検察、被告人双方が控訴。高裁の判決は伊藤整にも罰金10万円という内容。
最高裁へ上告するものの、昭和32年、上告棄却。有罪判決は覆らず。

下巻の帯で池澤夏樹が語り、本文中でも裁判官達が自覚しているように(下巻p.272)、
この判決や裁判内容自体が、その後の人々、歴史によって裁判されることになる。
伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』自体は、現在では普通に読むことが出来る。
内容も言うほど過激ではない。他に出版されている、ある種の雑誌の方がまだヒドイし、
この点は裁判当時から所謂「カストリ雑誌」との比較が成され、証拠としても用いられている。



で、何で今更こんな本を読んだかというと、岩手県で蘇民祭のポスターがセクハラで駄目だ、
みたいな騒動があって、セクハラと言うか、猥褻ってどう扱われてきたのか気になったから。


<知りたい!>何がセクハラ?蘇民祭 けがれなき奇祭、岩手で13日夜〜14日朝
2008年2月7日(木)15:03



上の記事の中で、住職が「祭りの本質や信仰とは全く関係ない興味本位の人が増えるだけ」
と言っているが、この傾向は50年前の『チャタレイ夫人の恋人』事件でも問題視されている。
思想や伝統なんかより、ただエロい部分に目が行き、それだけで良しとする出歯亀根性のことだ。
というか、それが有罪判決の一つ、この本が猥褻文書となり得る可能性の遠因となっている。
(例えば下巻p.309 猥褻感は読者と書物並に環境の関数であるという部分等。)


現代の状況を性の解放とか、表現の自由って素晴らしい、とか言うのは間違っていない。
逆に性の氾濫とか、セックスビジネスの行き過ぎとか、そう不平を言うのも間違っていない。
ただ、現在のそういう状況と、ロレンスや翻訳者の思想とは、逆の、正反対の方向を向いている。
商品価値としてのみ裸体が流通する時代には、性に対する誠実さは軽んじられるほか無いし、
劇薬として扱われたロレンスの思想も、毒に浸ったような現代では、逆に鎮痛剤のように映る。

現代に救いがあるとすれば、性についての一般性を、簡単に概観することができる点だろう。
本書の最後では、団藤重光の言葉が幾つか引用されてあり、そのうちの一つにこう書いてある。
ちなみに団藤重光は刑法の専門家。語学に秀で、31歳で教授、後に最高裁判事になったスゴイ人。


「裁判所では多数の証言を聞いたが、どうも専門家や名士が多すぎたように思う。むしろ一般の、そこいらにいる人たちの感じを聞くのが本当だったであろう。(p.344)


現代日本のブロゴスフィアは、「一般的な」猥褻がどの程度かを測るには都合がいいと思う。
大抵は偏っているんだけど、それでも検索して総覧して見れば、専門家の偏向よりはマシだろう。
『チャタレイ』事件の当時、このようなメディアがあれば、裁判の結果は違ったかもしれない。
posted by 手の鳴る方へ at 09:55| Comment(0) | 批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。