2010年02月03日

DS版DQ6の感想

・SFC版をプレイ済みなのにあらゆるイベントの記憶が無い
・SFC版はクリア直前に自分のデータだけ消えたんだよね・・・
・結局妹のデータでエンディングを見た記憶がある
・アモールの「いくら洗っても血が落ちないよ」だけは覚えてた
・会話システムがドラクエの本体になりつつある
・特技ゲーだからHPの低い女性陣は使い辛い
・「ピチピチギャル」とか一人称の「あたい」とか、もうドラクエでしか見られない
・人魚って魚食うのか・・・
・バーバラは馬車からホイミとリレミトする機械
・アモスは萌えキャラ
・それ以外はモンスター含めて真面目過ぎる
・ハッサンとかああ見えて普通に常識人だからね
・でも「ネコさんこんにちわ」「うさぎさんこんにちわ」とか言うミレーユ姐さんはイイ
・アモールのバニーガールに「うさぎさん」とか言うんだよこの人
・「うふっ、しかばねさんこんにちわ」とか言いやしないかとドキドキする
・「持ってた武器を振り回した」スライムナイトに誰か突っ込むべき
・職業ドラゴンが二人いればどうにでもなる
・むしろ一人でも何とかなる
・マッドロンのザキで何度ゲントの村に戻ったことか・・・
・チャモロはゲントの杖のおまけ
・文字表示の速度を最速にしてるから遊び人が何をやってるのかさっぱりわからない
・気がついたらHP50回復したりとかしてるし・・・
・テリーは雷鳴の剣のおまけ
・ピエール>テリー
・アモス>ピエール
・ドランゴ>アモス
・最初はテリーを使おうと思ってたんだよ
・けど無理でした
・アモスは萌えキャラ
・ドランゴが兵士に変装するのは無理だろ
・盗賊連れてレベル上げをしてるとアイテムをガンガン盗んでくれる
・買った覚えのないドラゴンキラーが6本くらいあるからね
・カーリングなんてやらないよ?
・そしてドーピングアイテムも使わないよ?
・夢告白もやってないなそういえば
・欲望のまちのイベントで「私ならお菓子をたくさん食べちゃいますねー」とか言うアモス
・お菓子て
・伝説の刀鍛冶の娘が「筋肉つきすぎてて踊り子になれなかった」という話が好き
・父親が失踪し自分には鍛冶職人のスキルしかないけどその技能で生きる気にはなれない。しかし生活が困窮するので仕方ないから意を決してカジノのバニーガールになろうと思ったら「筋肉がつきすぎてるから無理」と言われた一人称が「あたい」の女性がいたらそっと抱きしめるだろ普通に考えて・・・
・ガンディーノの先代皇后の隔離されっぷりが生々しい
・トラマナ→賢者に話す→イベント→イベント終了→動く→ダメージ床でダメージ→おいぃ!
・賢者の石の有難味がこれほど薄いのも珍しい
・やまびこぼうしの有難味も薄いなぁ
・エンディングでいっつもダンスするけど、しょぼいから止めればいいのに
・しかし会話テキストの量が尋常じゃないな
・アモスは萌えキャラ
posted by 手の鳴る方へ at 20:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月28日

ぼくのかんがえたでん子ブックリーダー

SONYがウォークマンを開発したとき、その後に現れたのは、一つの新しい世界だった。
それはスピーカーの省略とか軽量化とか小型化とか、そういう技術の進化というより、
街中で好きな音楽を聴きながら歩ける、という音楽との新しい関係を作った点でスゴかった。
新しい関係を垣間見せてくれたり、違う世界へと誘ってくれる商品というのは素晴らしい。

今後、新しい世界を見せてくれそうな商品、デザインとして、電子ブックリーダーがあって、
日本では恐らく、電子ブックは絶望的に普及しないし、したとしてもKindleだろうけれど、
そこには読書と人間の関係が、今までに無いものに変化する可能性が胎動している。


もしも私が電子ブックリーダーを開発しろと言われたら、きっとこんな機能をつける。

電源をONにし、読みたい本をチョイスした後に、二つの項目が画面上に表示される。
「ページ数」「時間」とそこにはあり、例えば「200ページ」「100分」と設定する。
すると電子ブックは200ページの分量を、100分かけて自動スクロールし始める。
この場合は、単純計算で1ページで30秒。本の内容によっては結構早いペースだろう。
無論、ストップやリバースの機能はつける。それらは片手で操作できるのが当然。

この機能を使えば、人は時間――移動時間、待ち時間、休憩時間――に合わせて、
本を所定量まで読むことが期待できる。何なら丸一冊を読み終えることだってできる。
今までは(当たり前だが)自分の読むスピードに合わせて本を読んでいたけれど、
これによって、ある意味で強制的に速読の状態に持ち込んで文字を目で追わせてしまう。
こう書くと速読を推奨しているみたいだし、恐らく速読が推奨されるのだろうけど、
個人的には良い読書体験というのは、気に入ったフレーズや文章に出会った後の余韻、
本から眼を離して、その文章から自分が何を思ってるかとか、何を考えているかとか、
そういうことをしている状態というのが心地よいので、1ページ30秒というペースではなく、
1ページ5分とか、200ページ2000分とか、そのくらいのペース配分を推奨したい。

そんなことする位なら普通に読めよ、自動スクロールはいらんだろ常識的に考えて、と、
そう思われるだろうけど、読書の最中の思考の流れ、みたいなのがあると思うんですよ。
それを機械の側に預けて、自分と本の関係を客観化するのって面白くないですかね?
読書のスピードというのは、本とその人との関係をシンプルに示唆していると思う。
好きな本、好きな作者の新刊は、敬意を込めてゆっくりとしたスピードで読み、
あるいは、もう好き過ぎるから、情熱に任せるままに速いスピードで読んでみたり、
自分に合うかどうか分からない本は、自分が最も読みやすいスピードで下調べしたり、
別に読みたくないけど読まなきゃ怒られる本は、自分の読むよりも速いスピードで読んだり。
本を読むのにかかった時間じゃなくて、文字の上を滑り、そこから垂直に深く潜った、
その速度を電子ブックと共有できるのなら、それは紙の本よりも親しくなれないだろうか?


他にも新機能の案は幾つかあるし、そういうことを考えること自体が面白いんだけど、
人間と読書の関係は、イノベーション次第でもっと面白く、有意義になると思ってます。
posted by 手の鳴る方へ at 06:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月20日

日記2 〜積み木〜

随分前の話だけど、姪っ子を園に引き取りに行って、そこで妹が井戸端会議を始めたので、
時間を潰すため、車内は暇だったから、園内の室内遊技場で絵本を読んだことがあった。

絵本の本棚は遊技場の南の隅にあって、そこで小さな白い椅子に肘をかけて床に座り、
「ぐりとぐら」とか五味太郎の本や「葉っぱのフレディ」(!)を片っ端から読んだ。


で、棚の向こうの遊技場の真ん中に男の子が一人だけいて、積み木遊びをしているのが見えた。
男の子は積み木を部屋の中央に集め、そこで城だか砦だか山だかを築いているように見えた。
面白いことに、積み木を積み上げるため、作品の周りをせっかちにクルクルと移動していて、
例えば東側の屋根に三角を乗せ、西に回り円柱を差し込み、北側で壁を増築したりしていた。
子供の積み木遊びって普通は座ったままされることが多い。その視点はほぼ固定されている。
彼のように作品の裏側に回って積み上げる、みたいなことは大人でもあまりしない気がして、
見れば見るほど不思議なことをやってるな、どういう欲望なんだろう、という気になってくる。


積み木の量が多いから作品はどんどん大きくなる。やがて裏側に回った彼の体が見えなくなる。
男の子は顔だけ出して黙々と積み木を積み上げるけど、無理して高くする気はないらしくて、
相変わらずクルクルと周囲を回りながら、今度はその裾野を広げて、また積み上げていく。
ときどき彼の袖やつま先が当たったり、彼の走る振動で、不安定な箇所が勝手に崩れたりして、
しばしばガラガラと音を立てるものだから、棚の奥から見てるこっちはハッとするんだけど、
ある程度大きくなると崩れてもどうでもいいというか、作品が駄目になった感じがしないのか、
チョコチョコっと補修すると、男の子はさっさと裏側へと回ってまた何やらを積み上げる。
補修と言っても、散乱したのを集めて、崩れた箇所にまた無造作に積み上げるくらいのもので、
完成しているのか半壊しているのかよくわからない、小さな建造物ができあがっていく。


時間が経つにつれて、何かスゴいものを見てる気がしてきたんだけど、
彼の母親がやってきて帰ると言うと、彼はあっさりと仕事をやめて、片付けをし始めた。
片付けも積み木を4、5個だけ持ってダンボールの大きな箱に入れることを繰り返すので、
この子は積み上げるのが好きなストイックな子なのかと思ったが、実際のところは知らない。
結局、何を作っていたのか作者の口からは聞けなかった。母親に見て欲しいと思ったとき、
あの子は母親を作品のどの方角に誘導しただろうか。建築はどこから見るのが正しいのだろう。
posted by 手の鳴る方へ at 00:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記1 コンフィズリー屋

随分前の話だけど、綺麗な洋菓子が陳列されたオサレなコンフィズリー屋に行った。

色とりどりの飴やヌガーが綺麗な紙に包まれて、さらにガラス瓶に入ってたりしてて、
全部の色がおいしそうで、本気を出した砂糖どもがガラス以上に輝いていてました。
結晶に囲まれて、もう何がキラキラしてるのかよくわからんような素敵空間でした。


で、店内を物色してると、若くて派手な親子連れがカラの乳母車を押して入ってきた。
そこにいるはずの赤ん坊は、父親の胸元に生地の薄そうなスリングでぶら下がってた。
その父親は日に焼けて真っ黒で、何かどっかの雑誌で見た高そうな革靴を履いていて、
パリッとしたシャツ着てて、如何にもモテそうで遊んでそうな感じだったんだけど、
生後8ヶ月くらいの子供が、父親の胸元から首だけ出してケーキとかを見てるワケで、
プレイボーイだけど今は子育てに夢中です、アットホームです、って感じで微笑ましい。
それを見て、私の連れの女の子は「ああいうのって格好いいわー」とか言うワケです。
「赤ん坊は最高のアクセサリー」とか何とか私が言うと、舌打ちとかするワケです。


一方の母親はと言えば、もう一人の、小学校低学年くらいの女の子の相手をしてました。
二人してハイテンションでコンフィズリーの瓶詰や缶、ケーキをワイワイ見てまして、
女の子がレジに商品を持っていく際に、「今までお手伝いしてお金貯めたもんね」とか、
「自分で買えるよね」とか、買ったら買ったで「一人でできたじゃーんスゴーイ」とか、
店を出るまで、子供の挙動にキチンとポジティブに反応してて、とても好感を持ちました。
が、私の連れは「本で見たような教育ママ」とかホザいてたので舌打ちしてやりました。


その後も二人で店内をブラブラ見て回り、私がふと「でもいい家族だねー」とか言うと、
「そうねー」みたいな感じで即座に肯定されてしまった。それはそれでどうなんだろうか。
「でもいい家族だねー」と言ったとき、私はむしろ舌打ちされたかったような気もするし、
連れの女の子も舌打ちをしそびれて、ついうっかり肯定してしまったんじゃないかと思うし、
そういう肯定の先には不毛なものしか転がっていないじゃないか、と、そんな気もする。
posted by 手の鳴る方へ at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

世代を超える「三国志」

三国志の赤壁の戦いを題材にした、ジョン・ウーの最新作『レッドクリフ』の前編が、
日本で11月1日に封切りということで、映画雑誌を中心に「三国志」特集が散見。
まぁ、「東洋経済」の記事「『三国志』ビジネスの秘密」にしか目を通していないのですが、
この記事は面白い。ビジネス誌として、シンプルに三国志を網羅している点がイイです。
時系列的な概説もイイし、数値化やビジュアル化による影響にも触れていて面白いです。

昔、私が働いていた頃、30代後半の上司が、会社近くの本屋で「ビジュアル三国志」という、
面長の格好イイ周瑜や、孔雀みたいな呂布の一枚絵がドンと描かれたムック本を買ってきて、
部署全体で「それはどうかなー?」みたいな空気になったのをはっきり覚えています。
1500年以上前の人物達が、ここまで可視化されている例もそうそう無い気がしますし、
誰も見たことのない空想の人物画だけで一冊の本にできるジャンルも無い気がします。
ギリシア神話とかで似たようなことをしても、30代のオッサンは見向きもしないでしょう。
と言うか、神戸かどこかで今やってる「大三国志展」にはイメージキャラクターがいて、
その立ち絵を正子公也が描いていて、しかもイケメン俳優にコスプレさせるらしいですね。
しかも衣装がどう見ても史実を無視したゲームキャラの衣装。いいぞもっとやれ。


記事によれば、吉川英治の『三国志』が1939年からの発売。累計1500万部の売り上げ。
そして2002年からTVゲーム会社コーエーが発売している『真・三国無双』シリーズが、
これも累計で1000万本のヒット商品となっている。購買層の平均年齢は17歳だってさ。
さらに1982年からNHKで繰り返し放送されていた川本喜八郎の「人形劇三国志」や、
恐らく日本で、最も影響力の大きい三国志であろう横山光輝版の漫画『三国志』、
1994年から連載が始まった『蒼天航路』(原案 李學仁 漫画 王欣太)等により、
三国志は「下は10代、上は70代」という、類稀な幅広いファン層を獲得している。

シブサワ・コウもインタビューで答えているけど、元々の話がぶっ飛んでて面白いから、
きちんと小説なり漫画なりで伝えることができれば、一定数の人間には必ず届くんですよね。
『レッドクリフ』も、新規開拓というより、「三国志」好きとして嫌な予感はしますけど、
それでもジョン・ウーなら、ジョン・ウーならきっと何とかしてくれる、そういう目をしている、
と、そんな期待が無いワケでもなくて、まぁ、「三国志」を表現するのに映画は短すぎるかもね。


ちなみに私事ですが、私の初「三国志」はこれです。中二の頃でしたね。

SFC:スーパー三国志2スーパーガイドブック
super-sangokushi2.gif


はい、小説や漫画やゲームの三国志よりも先に攻略本でした。何故か持ってたんだよね。
この攻略本の面白いところは、最初に中国人画家の三国志の作品を数枚掲載していて、
簡単な解説と共に「桃園の誓い」や「赤壁の戦い」、「錦馬超」の絵があった点。
作者の名前は忘れたけど、顔料を用いた、輪郭を強調しない没骨画の技法で描かれた、
シンプルで印象に残る絵画でした。それは単なる資料として攻略本に載せられていて、
何だかゲームのクセに格調高いなオイこの野郎と思った記憶があります。

しかもこの攻略本、攻略の進め方も、軍師が君主に進言(佞言)するという見せ方で、
陳宮が呂布に、陸遜が孫権に、「まことに恐れながら申し上げます」みたいな口上で、
タラタラと解説してくれる優れもの。攻略(実利)よりも雰囲気を最優先する良書でした。
「まさに汗顔の至り」とか、中二の頃の私は喜び勇んで日常に取り入れてましたよ。
ええ、もちろん黒歴史です。あの時代がかった口上は、完成度が高かったと思います。
手許に本があれば文章を真似することもできるのですが、さすがに無いんですよね。
まぁ、攻略本だって教養の素地にくらいなれるよ、って言いたいだけなんですけどね。
posted by 手の鳴る方へ at 10:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

煙と世代間ギャップ

近所に農耕地を持っているジジイがいて、そのジジイがそこでゴミを燃やすのを止めない。
もう何度も何度も何度も何度も苦言を呈しているのに、聞きやしねぇ。っていうか馬耳東風?
その土地は、元々は田んぼだったんだけど、ジジイが腰を痛めたとかでずっと休耕地状態。
周囲にはバスも通る幹線道路があり、町外からも客が立ち寄るスーパーとその駐車場があり、
何よりも隣りの土地には去年から一戸建てが建っている。目と鼻の先、10メートルほどの所。
もちろん人も住んでます。新居の隣りでジジイがゴミを燃やしているのです。嫌がらせです。
というか、宅地開発が進んで、そのジジイの土地だけが休耕地として取り残されていて、
周囲の、元々は田畑だった場所は売却され、綺麗な新興住宅地に様変わり、というのが現状。

住宅地の煙害もそうだけど、そもそも6〜7年前に条例で野焼きは禁止されているワケで、
当然、町内会としては「お前いい加減にしないと出るトコ出るヨ?」という雰囲気なのだが、
そのジジイは止める気配が無い。理由は「今まで良かったじゃねーか」と、そうホザく。

「いえ、ずっと言ってますが、今はもう禁止なんです。近所迷惑ですから」
「そんなこと言ったって、今まで燃やしてたぞ?」
「駄目です。周囲の環境も変わってますし、条例でも禁止されてます」
「俺の土地でいつもゴミは燃やしてたんたぞ?」
「昔はここも畑ばかりだったから良かったものの、今はもう違うじゃないですか。30年前にスーパーは無かったでしょ? 隣りに家も無かったでしょ? 田畑はもう住宅地になってます。見れば分かりますよね?」
「でもゴミはここで燃やさないと」
「いいえ、業者の方が持って行ってくれます。それはあなたも知っているはずです」
「俺の土地で燃やそうが俺の勝手だろ」
「煙が幹線道路まで広がってます。道路の向こう側の住宅地にまで煙が届いてます。勝手が過ぎてます」
「お前が生まれる前からここで燃やしてたんだぞ?」


と、こんな死ぬほど無意味な遣り取りを、延々と繰り返してきたワケです。
視力を含めた五感は衰えてはいるのでしょうが、幾らなんでも隣地の新築が見えないはずは無い。
周囲の環境の変化を黙殺して、頭の中の慣習を実施する自動機械を相手にしているようで、
コミュニケーションが全く成立しないのです。全ては「昔からそうだったからOK」なのです。
恐らく相手にしてみれば、私の方も、コミュニケーションが通じない若者に見えるでしょうが、
これはもうあれですか、酒でも飲ませて酔わせて殴りあい覚悟で説教するしかないのですかね。

私は基本的に、年上というだけで敬うことは一切無く、普通に年長者に対しても説教をします。
いまふと思い出したから書くけれど、高校生のときに、狭い古本屋で立ち読みをしている、
50歳くらいのサラリーマンの背後を「スイマセン、失礼します」と言って通ろうとした際、
「何だよ、馬鹿じゃねーの」って言われ、ブチ切れてそのオッサンに説教したことがあります。
狭い通路を「失礼します」と言って通ろうとして、それにもかかわらず馬鹿呼ばわりされては、
人は生きていけないからです。まぁ、相手が不良やヤクザだったなら我慢してたでしょうが。
思い出したついでに書けば、今も昔も、社会の中で怒る主体は成人男性のイメージがあります。
「最近の大人は怒らなくなった」と言うとき、怒るのは大人で、怒られるのは子供らしいです。
もちろんそんなワケはないですからね、と、現在、私はそれなりに堂々と言うことができます。
怒る主体が子供で、怒られる側が大人でも、怒りの内容さえもっともなら問題はないですから。


で、冒頭のジジイについては、埒があかないし、普通にブチ切れても仕方ないので撤収。
というか、コミュニケーションの成立しない相手にまともに怒っても、悲しいかな意味が無い。
私は巷に溢れる、世代間の差異を強調し、若者 vs 団塊世代の構図でモノを語って煽り続ける、
ロスジェネ連中のことは下らないと思うけど、世代間のギャップって思ったよりも断絶していて、
そういうロスジェネ連中が、老人の「俺の若い頃は〜」的な話に苛立つ気持ちは分かる気がする。
「俺の若い頃は〜」も、「今までは良かったじゃねーか」も、現状を不当に棚上げしている。
その硬直化した老人の経験則と、不確かな若者の経験則もどぎが、接点もなくすれ違っている。
そしてすれ違って丸損しているのは若者の方で、既に社会的地位のある老人は痛くないんだよね。
ディスコミュニケーションの割りを食うのは、大抵の場合は社会的な弱者なんですよね。
強者には積極的にコミュニケーションを進めようとするインセンティブが働かないよね。


まぁ、どちらにしろ話が通じないのは困る。硬直化した慣習はほとんど宗教と同じだ。
posted by 手の鳴る方へ at 05:23| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

辺見庸のコラム風に雑誌の休刊を語る

 夕立が降り始めた。商店街のアーケードの下へと人々が駆け込んでくる。肩や頭をハンカチで拭う人々を横目に、私はタリーズコーヒーで友人を待っている。友人は約束の時間に遅れている。何度も携帯で呼び出しているのだが誰も出ない。恐らく家に忘れたまま外出しているのだ。通りを歩く人々の中にその友人の姿はない。店の入り口で呼子をする店員の声がはきはきと聞こえる。客のまばらな店内には静かな音楽が流れており、私は空になった皿やグラスを前に「論座」の10月号に目を通す。表紙には『進化を続ける「論座」的空間』とあるものの、内容は何の代わり映えもない鼎談にインタビュー、書評、時評、論文等々。この雑誌はこの号で休刊になる。それを含めて普通の雑誌だ。


 雨に降られたらしい母親と男の子が店内へと呼び込まれ、一番手前の席にいた私と目が合う。私は友人でないと確認すると、視線を落としてまたぱらぱらとページをめくる。しかし休刊する雑誌が謳う「進化」とはいったい何のことだろうか。保守のオピニオン誌と比べれば書き手に幅はあるものの、それに何の意味があるのだろう。「最後のU-40(under forty)特集」を組みながら、75年生まれの中島岳志だけ、何故、柄谷行人、山口二郎のビッグネームとの鼎談が組まれているのだろう。それは例えば田村哲樹ではいけなかったのだろうか。そもそも柄谷行人はまだ必要なのだろうか。


 主著の中でアーサー・ケストラーは、進化の袋小路について、コアラを例に出して語っている。その動物は、オーストラリア大陸に適応し過ぎたため、他の土地では生きていけない体の構造をしているらしい。

この生物はユーカリ樹のうちでもある特定種の葉だけを餌とし、他のものはいっさい食べないように特殊化した。それで五本の指の代わりにかぎ爪があり、これは樹皮をよじのぼるのにぴったり適しているけれども、他にはいっさい使いみちがない。これを人間にたとえれば、愛くるしくない点は別として、考えることも行動もすべてがかたくなに、枠にはまった学者ぶり、習慣の奴隷こそまさにそれだ。(『機械の中の幽霊』 p.220)

進化とは袋小路へと続く隘路であり、特殊な気候風土の中で生き抜くため、生き方を特殊化することである。ケストラーはこのことを生物だけに当てはめてはいない。文化や思想にもこの構図を持ち込もうとしている。コアラがオーストラリア大陸に特化し、生物として隘路にはまったように、短くはない雑誌の歴史も、ここにきて隘路にはまっているのかもしれない。そういえばオタクは死んだらしいが、それも「萌え」の風土に適応し過ぎて、袋小路にはまったためかもしれない。隘路から抜け出すには後戻りするしかないとケストラーは語る。未完成の子供へ戻れと言うのだ。いったん御破算することこそが進化の要である。ならば雑誌が進化する可能性は、既存雑誌の休刊の中にしかない。もちろんこれは皮肉に違いない。しかし「論座」の進化の語り方は当を得ている。


 先ほどの母親が商品を持って店の奥へと入っていく。小学校低学年くらいの、大人しそうな男の子がその後を追って歩く。彼の持つ象牙色のトレイの上ではアイスコーヒーが危なげに揺れている。母親は隅に陣取って子供の名前を呼ぶ。母親は「ガムシロは貰った?」と尋ねる。影の中で白いタオルを取り出しているように見えた。男の子は何も言わなかった。店員がバックヤードから現れて、店の奥の方でなにやら対応していた。私は鞄に雑誌をしまいこみ、もう一度携帯で連絡を取る。濡れた傘を持った人々が通りを過ぎていく。あの男の子は「論座」という雑誌を知らずに育つのだろう。それはまったく問題のないことだ。戦前、日本の出版史上で最初の百万部を達成した「キング」という男性誌があった。それは現代、「KING」という名前で創刊されていたが、今年の9月発売号で休刊となる。襲名からわずか二年。月刊の方の「PLAYBOY」日本版も11月で休刊する。最近では詩や写真の特集に目を見張るものがあったが、中原中也の詩がネット上で難なく読め、文庫になっても漫画絵が表紙になるような時代だ。また、ミニチュアのように社会を写し撮ることが評価され、街で起こった事件に携帯のレンズが一斉に向けられる時代だ。ポルノを見たければ雑誌よりもネットが頼りになる、そんな時代だ。池澤夏樹やジャーナリズムが立つ土俵には観客がいない。その土俵は隘路の先、袋小路に設置されている。それを人々は時代の閉塞感と呼ぶのだ。


 電話には誰も出なかった。その代わりにびしょ濡れの友人が店内に入ってきた。彼はレジ前を素通りし、車が動かなくなったと、ありそうもない言い訳をする。聞けば、携帯を忘れたことには気がついていなかったと言う。店を後にして、私は友人に何気なく聞いた。
「ヒュー・ヘフナーって知ってる?」
「プレイガールと暮らしてる奴だな。なに、死んだの?」
私より1つ年上の友人はそう即答した。それはありそうなことだった。私は「別に」と言った。
「じゃあお前、辺見庸って知ってる?」
「元ジャーナリストの芥川賞作家だろ。『自動踏台昇降ベッド』だっけ? なに、死んだの?」
そう答えたのは私の方だった。正しくは『自動起床装置』。友人も「別に」と言った。私はさっきまでいた店内を振り返った。カウンターにいた店員と目があった。あの親子は影の中にいてもう見えなかった。あの男の子は「PLAYBOY」創刊者の伊達男、ヒュー・ヘフナーの名や、セバスチャン・サルガドの「ブラジル セーラ・ペラーダ金山」のような写真を知らずに育つのだろう。辺見庸的な言説もきっと知らずに育つだろう。彼がヘフナーやサルガドの名をグーグルで検索することもないだろう。歩き出して友人は私の知らない人物の名前を挙げた。私が「知らない」と言うと、彼は残念そうな顔をした。
posted by 手の鳴る方へ at 06:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月31日

8月のオタ話

週刊少年ジャンプの背表紙が『ONE PIECE』一色で、今年一年はあれで行くのだろうが、
JOJOとかの単行本ではああいう試みはあったけど、雑誌でやると全部は見れない気がする。
雑誌はさすがに一定量集まったら捨てるし。単行本と違って本屋に順番に並ばないし。
あのパノラマって、漫画喫茶以外で全部を通して見る機会は無いんじゃないかと思う。
まぁどうせ、今年の年末あたり、どこかの個人サイトがちゃんと写真をUPするだろうけどさ。

あと、関係ない話だけど、背表紙を並べると一枚の絵になるとか、私はそういうのが好きで、
今年の4月にイギリスの新貨幣が発表されたんですけど、ああいうのも大好きなんです。

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これ、順番に積み上げると、側面には「ファッキン・ユーロ」って刻まれてあるらしいですね。
日本でこういうことをすると絵柄は何になるんでしょうか。日光東照宮あたりですかね。



ギャルゲーだと思ってて今までスルーしてた東方projectですが、
友人から「お前それは違うってマジSTGだからいやマジで」と言われて開眼。
見てみると確かに、あんな硬派な弾幕ゲームだったんですね。知らなかった。
それと、2次創作の巨頭の元の絵柄があんなに素朴なのは意外な気がします。
また、きちんと正統派の、神話的な雰囲気を意識していてイイ感じです。
ニコニコ動画で理解できるネタが増えたのはまぁ、いいのですが、
この1ヶ月足らずで、私のPC内の東方フォルダは膨れ上がる一方なのです。
キャラが多いから簡単に画像が4桁までいきましたよ。自分でもドン引きです。
ちなみに好きなキャラは清く正しい射命丸と、扱いが不憫なリグルです。
でも一番画像が多いのは中国です。このキャラは絵師から愛されていると思います。

あと、友人からアイドルマスターも薦められてるのですが、あれはギャルゲーでイイですよね?
というかこれ以上フォルダを作りたくないのです。iM@Sだってキャラ10人以上いるんだし。
と言うか、眼鏡属性フォルダに既に一名、大量に入っているのですけどね。怖い怖い。



『銀魂』の作者が、単行本の表紙で煙草を吸うキャラに煙草をくわえさせられない、
とか何とか、単行本の中でボヤいていて、そういうものなのかと思っていたら。

矢沢あい 『NANA(19)』(りぼんマスコットコミックス)
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めっちゃ吸ってる! くわえてる! 紫煙まではっきりと見えるじゃん!
ちょっと一体どういうことなの集英社!? 女キャラならいいってこと?
それともギャグ漫画だから駄目なの? 背景込みならOKってこと???????




あずまきよひこ 『よつばと!(8)』( Dengeki comics )
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一言で言えば「全ページがイイ」ってことだと思います。
色んなところで話題になってます。やたらとスレを見かける気がします。
みんなよくそんなトコまで読んでるな、スゲーなこいつらと感心します。
ラジオ体操のときのお姉さんが再登場してたとか、しまうー胴が長いとか。
よつばが鍵を閉めるシーンで三コマ使っていて、その間がとても面白いとか。
文化祭で、子供のよつばに生徒の視線が比較的多く集まっていていい、とか。
裏表紙を見る限りでは、みうらは赤い隈取をしてるよね、とか。

お父さんスイッチや逆さまのペットボトルも背景として素晴らしいのですが、
個人的には、祭りの回で、細長いジュースが配られていたのが印象的です。
町内会の催事で出てくる、安い方の、細長いジュースこそ祭りの本質ですよね。
ポリバケツで冷やしているあたりも好きです。地域ってそういうことだと思います。
posted by 手の鳴る方へ at 11:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

坑内の女リーダー

女友達と酒を呑んでいて面白い話になったのでブログに書く。
以下、女性が輪姦されるような官能小説の話題が中心なので注意。
続きを読む
posted by 手の鳴る方へ at 02:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

どうも、漫画ソムリエです

ギャハハハと笑う女性は基本的に全て怖いという屁タレな私ですが、
園内でヤンママのAさん(ギャハハハと笑う)と話す機会がやたらと多い。
送迎や待ち時間、駐車する場所、諸々の行動パターンが似ているのだろうね。
前にも書いた気もしますが、接し方がわからないのです。異文化交流なのです。
子供という共通の話題があるにもかかわらず、会話の空転率が半端ないのです。

で、随分前に「最近、スゲー暇なんだよね〜」と、ちょっと意味ありげなことを言われて、
性格は意味不明なんだけど顔は綺麗だし、人妻だけど若いし母親としてもマトモなので、
やや下心ありで「ドライブでも行きますか」と誘ったら「いや、そうじゃない」と一蹴。

んで、話を聞いてみると、要するに「何か面白い本とか持ってない?」ということらしく、
仕事や家事の合間に半端な暇ができるらしく、時間を潰す本を貸せ、ということらしい。
で、どうせこいつは漫画しか読まないだろうという偏見100%で私が選んだ本がこちら。


羅川真里茂 『赤ちゃんと僕』 (白泉社)
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もちろん全巻。これは我ながらベストチョイスだと思うのですよ。
漫画ソムリエなら2級は確実。田崎真也も納得のおもてなし。

で、つい最近、全巻読み終えたそうで、わざわざ自宅まで持って来てくれまして、
人ん家の玄関先で、開口一番「あの夢精とか精通の話がよかった」とか言いやがりました。
個人的には全然アリですし、その話題で盛り上がるのはウェルカムですが、TPOってあるよね。

『赤ちゃんと僕』の話の中に、主人公のクラスメイトで、少し女っぽく見られる子がいて、
その子の父親は船乗りか何かで単身赴任中、普段は家に母親しかいない、そんな中で夢精。
母親には相談できないから、(何故か)主人公の父親に相談しました、みたいな話があって、
少女漫画って、たまにそういう異物のようなテーマを真正面から取り扱うからビビる。
今みたいに腐女子的(=反腐女子的)な視線がキツイと、夢精の話はまともに描けないだろうね。
『赤ちゃんと僕』は他にもお局様や嫁姑、大家族、女に勝てない男の話とかもあってお勧めです。

Aさんの子供は夫の祖父に似ているらしい可愛い男の子。
母親として息子の将来について思うところがあったのでしょうね。
親に向けられた性教育として、この話はとても参考になるんじゃないかと思います。


で、Aさん、帰り際に「また何か貸して」とほざきやがったので、
漫画ソムリエは自信を持ってこちらの漫画を貸し出しました。


田丸浩史 『ラブやん』(講談社)
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ええ、精子つながりです。Aさんの夫が殴りこんで来やしないかとヒヤヒヤしてます。
セクハラで訴えられたら負けるかもしれません。漫画ソムリエどころか人として失格です。
でも、これを読んで、母親として息子の将来について思うところがあれば、望外の喜びですよ。
posted by 手の鳴る方へ at 07:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月26日

ポーニョ、ポーニョ

『崖の上のポニョ』(宮崎駿 監督 2008年 日本)
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予備知識一切無しで見に行った。以下ネタバレだらけ。
結論を先に言えば面白かった。作ってた方はもっと面白かっただろうね。


敵役のフジモトが前半に「人間どもが海を汚して云々」とか言うシーンがあったり、
底引き網の中に、魚やポニョと一緒にゴミやヘドロが大量に描かれていたりして、
「もののけ姫」的な、自然と人間の共生がテーマかと思えば別段そうでもなかった。
で、母親(ジブリ的な強い女性)との家族愛が主旋律かと思えばそうでもなかった。
車で坂を駆け上がり、迫り来る波から逃げるシーンは如何にもジブリらしくて良かった。
一方で、ポニョの履いているかぼちゃパンツがスクリーンの半分を占めているような、
エロゲみたいなアングルも何度かあって、それはそれでジブリらしいと思った。真面目な話。

また、現実の中のファンタジーの話かと思えば、現実は月の引力のせいか簡単に水没。
どう考えても世界規模で災害が生じているんだけれど、映画はそこまで視野を広げない。
で、現実が錬金術や魔法や観音様の世界観に侵食され、化石的な古生物が跋扈する始末。
(4億数千万年前は実際、月と地球の距離は、今の距離の5分の2強しかなかったらしいね。)
そうかと思えば、魔法により、ろうそくの炎で動くおもちゃの船を大きくしたりする。
魔法ではなくて、あくまで理科レベルの科学力で、世界を渡る推進力を得ようとする。

また、そもそもポニョはこの世界ではどういう風に見られているのかがイマイチ不透明で、
金魚と言ったり可愛いと言ったりした後に、「人面魚だ!」と台無しなことを言わせたりする。
(ポニョに対して「人面魚」は、飛空石に対して「バルス」って言うようなモノだと思うよ。)
別の所では、赤ちゃんはスープは飲めないけれど、母親が飲むことで赤ちゃんのための
おっぱいが出る、みたいな比較的落ち着いた話の、顔のアップのシーンが続いた後で、
島の自警団が漁船を引き連れて騒々しく現れ、拡声器で「用件は無いか」と言ったりする。
また、何故か自力歩行ができるようになった老婆達の頭上を、物々しくヘリコプターが飛ぶ。
急に現実に引き戻される。ポニョの妹(?)も、一匹なら可愛いけど、大量に集まると怖い。

そういえば船の墓場のシーンで、私は「紅の豚」の飛行機の墓場のシーンを思い出したし、
おもちゃの船を降りて、トンネルを通る直前のシーンでは「千と千尋の神隠し」を思い出した。
(ついでに言えば母親が「さんぽ」か何かの主題歌をワンフレーズ口ずさんでいたが。)
それも特にどうという話でもなくて、もっと言えば童話の「人魚姫」的な話になりかけて、
ポニョは人間になるか泡になる、でも生き物はみんな泡から生まれてきたのよウフフ、
みたいな感じにもなっていたはずなのに、当事者にはそこらへんの危機感もさして無かった。
で、RPGで言えばラスボス戦直前の会話シーンで、適当に「はい」の選択肢を三回選んだら、
見せ場も何も無いまま世界を救って、そのままエンディングが始まってしまったような展開へ。
しかも「どうやら感動的な」エンディングが始まってしまったから困るよね、そりゃあ。


書いていて、保坂和志が青木淳悟の『クレーターのほとりで』を褒めたやり方を思い出したが、
そんなことを言うとポニョが如何にも文学的だと思われてしまいそうだから深くは言わない。
とりあえず「面白い」とは言いたくて、悪口しか書いてないみたいだけど、全力で褒めてます。
私は途中、映画を見ながら色々考えていたし、終わってからも相変わらず色々と考えていて、
「全部見た、こんな話でこんなメッセージだった、面白かった、途中で何を考えていたかは忘れた」
とかいう感じでは無い。そこにある謎を解きたいワケでも無い。見事に解釈したいワケでも無い。
一点に収斂するような思考を求めない、腑に落ちない作品って色々あるじゃないですか。
と言うか、鑑賞者がジブリにそんな類の作品を求めているかどうかは別として、あるんですよ。

本気でポニョに関し、それっぽく解釈したいなら、クトゥルフ神話を持ち出すこともできるけれど、
ロリペドの面を被ったラヴクラフトなんて悪夢と言うか、悪趣味以外の何モノでもないからしない。
と言うか、そういう話じゃネェだろこれ、ということがそもそも言いたいんですけどね。
posted by 手の鳴る方へ at 07:46| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

トイレトレーニング

姪っ子のことはこのブログに書こうと思えばいくらでも書けるんですが、
やりすぎて育児ブログ化するのもどうかと思うので自重しています。
でもたまには姪っ子関連の話。


姪っ子を保育園に送迎しているうちにママさん方と顔見知りになってしまい、
「子供の習い事ってどうしようかしら」「玩具は日に当てて殺菌した方がいい」
「あそこら辺にはノラ猫がたむろしていて糞もあるし砂遊びは危ない」
みたいな話題で盛り上がってる今日この頃です。
皆さん、3歳とか4歳の子供のママさんなので、知識も経験も豊富で、
2歳になったばかりのウチの子にとってはとてもありがたい情報だらけです。

しかしまさか、オタクでフリーターの私が人妻とこんな話をするようになるとはね。
オタク的発想・思考から最も縁遠いのは、こういう家庭臭なのだと痛感します。
というかむしろ、これは家庭臭じゃなくて、真摯な教育の臭いなんだと思います。
(あるいは母親は子供にとってマクルーハン的なメディアなのだ、とか。)
まぁ、彼女らの話題が全部、家庭的で典型的な主婦の話だとは言いませんけどね。
女子高生みたいな話もしてますしね。携帯の待ち受けがジャニーズとかね。
あそこの写真館のプリクラは子供のコスプレも用意してくれててマジスゴイ、とかね。
ちょっと前だと、エスカレーターにサンダルが巻き込まれるってマジヤバーイ、とかね。
そういうテンションになると、私はもうついていけなくなるんですけどね。
というかヤンママのテンションが時々怖い。社会性の無さは常に怖い。
この全き他者の一挙手一投足に怯えてしまう。接し方がわかりません!!


それはいいとして、ママさん方から最近薦められているのがトイレトレーニング。
2歳になってから最初の夏に始めた方がいいらしいです。と言うのも、

・そろそろ一人で立って自由に歩けるようになるから
・しばらくすると第一次反抗期に突入して訓練どころじゃなくなるから
・夏だと洗濯する量が少ないから
・夏だと洗濯もすぐに乾くから
・夏だとパンツに漏らすとジメジメして鬱陶しいから、子供が馴致しやすい

とのこと。ウチに来てたベネッセのDMにもそんなことが書いてありました。
これが進研ゼミのDMみたいに、漫画でトイレトレーニングのことが書いてあって面白い。
んで、ウチの子も最近2歳になったんだけど、発育が遅いからあまり自立歩行をしないのです。
まぁ、そこら辺のしつけに関しては、私はノータッチを貫いているのでどうでもいいんですけど。

ママさん方にとって、トイレトレーニングは育児の強敵の一つらしく、皆さん真剣です。
みんなもこうしてパンツマンになってきたんだなぁと、しみじみそう思います。
posted by 手の鳴る方へ at 05:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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