2007年06月30日

魁! クロマティ弁護団

【 登場人物紹介 】
・リーダー:人権派弁護士のリーダー
・弁護士A:人権派弁護士
・弁護士B:人権派弁護士
・弁護士C:人権派弁護士
・弁護士D:人権派弁護士
・ゴリラ:ゴリラ




リーダー「えー、それでは、光市母子殺害事件について会議を行う」

弁護士A「会議って言ったって、何を話し合えばいいんだよリーダー?」

弁護士B「そうだよ。審理差し戻しで、死刑なのは決まったようなモノだよ」

弁護士C「残念だけど死刑で決まりだよ。会議する意味がないよ」


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posted by 手の鳴る方へ at 03:09| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

テレビの中のゴルフ

[スポーツの正しい見方]テレビがスポーツを殺す。
http://number.goo.ne.jp/others/column/20070620-1-1.html



ゴルフとTVで思い出したけど、女子ゴルフの不動裕理のTVでの扱いはヒドイ。
やれ宮里藍だ、横峯さくらだ、横峯パパだとTVのニュースは喧伝する。
確かに彼女らの成績からすればチヤホヤされてもいいんだろうけど、
その宮里、横峯よりも上位に位置している不動の扱いが小さいのはどういうことだろう。
前人未到の6年連続日本女子ゴルフツアー賞金女王だったのに。
最年少で永久シードなのに。野球で例えたらイチローくらいスゴイはずなのに。

で、下手したら不動が優勝したのに、3位の宮里がニュースの中心だったりする。
その理由もまぁ、わかりきってるから責めないけど、それにしたってヒドイ。


で、TVが表象しない不動裕理だけど、ネット上には彼女のファンサイトがあり、掲示板がある。

「またTVが不動プロを扱わなかったよ」
「トップなのにスルーされてた」
「スゲームカつく」
「いい加減にして欲しいです」


とか何とか、結構本気でファンは怒っているから面白い。
というかその書き込みの熱さに感動すら覚える。

冒頭の記事や不動裕理のファンサイトを見ていて思うのは、
TVの表象力がトコトンまで相対化され、メディア=媒介の役目を果たせていないことで、
真正のファンからして見れば、TVは「行儀の悪いただの観客」程度でしかない。

TVの表象力はその程度のモノなんだろうけれど、でも、不動裕理をまず知るためには、
どう考えてもTV等の、薄くて広い情報を発信するマスメディアを通じて知るしか無い。
TVはネット以上に、その裾野を広げ、大衆に知らしめるメディアとしては最強で、
というのもネットでは自分の知りたい情報にしか関心を向けないことが多いからで、
だからTVはもっと映す対象の魅力をアピールするような作り方をすればいいのに、
その結果がハニカミ王子や横峯パパ等、ゴルフに無関係な表象になるのは残念な話だ。
posted by 手の鳴る方へ at 04:31| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

時の記念日

6月10日は時の記念日。だから時間について小ネタを少々。


時間といえば時計だけど、時間は別に時計の中にあるワケではない。
匿名の時間を数値で表して、5分30秒経過だとか、午後8時10分だとか、
そういう風に言うのって何かおかしくねぇ? 俺って騙されてねぇ?
っていう素朴な発想は意外と多いし、そこに表現の可能性を見る人も多い。

0605061.jpg


上の写真は MOVADO(モバード)という時計会社の、変わったデザインの腕時計。
ネイサン・ジョージ・ホーウィットって人がデザイン。名前は「ミュージアム」。
名の由来は、時計のデザインとして初めて、ニューヨーク近代美術館の永久所蔵品に選ばれたから。

このデザインによって、あまりにも現代的になり過ぎた時間の再定義が試みられている。
時間とは、文字盤の上で1から2へ、2から3へと針が移動し、一周することではない。
それは月や星辰が天球上を移動することであり、それによって一年や四季が訪れることである。
少なくとも以前はそうだったはずだ。

このミュージアムの文字盤には数値も目盛も秒針も、ましてやクロノグラフも無い。
シンプルな意匠の長針と短針は、可能な限り抽象化、脱文明化された形で円運動を反復し、
黒く塗りこまれた文字盤に浮かぶ、「12」の位置にある象徴的な星の元へと無限に舞い戻る。
天体は時計に合わせて天球上を動いているわけではなくて、むしろ逆に、
時計が天体を模倣して時間を可視化しているのが事実なのだ、とこの時計は言いたいようだ。



もう一つ、面白い時計について。時計と言っても砂時計だけど。

砂時計:太陽の光、月の光‐リビングワールド

西村佳哲、西村たりほっていう結構有名な人達の作品。
ここで紹介されているのは太陽光と月光の砂時計だけど、
他にも100人の子供が生まれる時間とか、ジョン・ケージの4分33秒とか、
このシリーズは色々あるし、これからの広がりも期待できて興味深い。

こういう砂時計を見るのはきっと楽しい。
砂時計以上に、こういう発想自体が楽しいと思う。



ちなみに、今回の記事が6月12日に公開されているのには理由がある。
上で紹介したサイトに曰く、

さて、光の速度は、一秒に299,792,458 m。

街を歩いている人の姿も、水平線をゆく船も、私たちが見てい
るのは、実はほんの少し前のそれであると考えると不思議な気
がします。
夜空の星にいたっては、何万光年も離れているものばかり。私
たちが見ている宇宙は、すべて過去の姿なんですよね。


全ての物事には時差があるのです。
だからこの記事も、時の記念日から2日も遅れているのです。時差です。
書くのを忘れていたとか、間に合わなかったとか、そういうのじゃないんです。
posted by 手の鳴る方へ at 02:59| Comment(3) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

脱談合

大阪府議と大林組顧問を共犯容疑で逮捕 枚方談合
2007年06月04日21時54分
(asahi.com)


談合については前にも書いたし、前の日曜日にはNHKで特集も組まれていた。

NHKスペシャル 脱談合 〜きしむ最後の日本型システム〜

この番組では、日本土木工業協会の葉山莞児氏がインタビューに応えていた。
「国民が全国に50万あるゼネコン関連会社を税金で扶助する理由はない」とか、
「この50万と言う数字は今後、5万か10万かはわからないが、適正な数へと淘汰される」とか。

ここで真っ先に淘汰されるのが、地方にある中小の土建屋・工務店なのは目に見えている。
確か和歌山県の話だったけど、以前は70億あった公共事業費が、今は7億程度に減額。
この傾向は全国一律にそうだろう。今の自治体の財政にゼネコンを養うほどの余裕なんかない。
このパイを取り合うため、もはや「和を持って尊しと為す」談合の話し合いすらつかないし、
最低落札価格で入札しても他社と競合し、最後はくじ運が悪くて仕事が取れなかったりして、
葉山氏の言う「淘汰」という言葉が胸糞悪くなるくらい生々しく響いてくる。

NHKの番組では談合の慣行が、ゼネコンの底辺と上部から崩れつつある、って話だったけれど、
名古屋市の地下鉄工事をめぐる談合事件を見てもわかる通り、「大林組」や「鹿島」など、
いわゆる超大手のスーパーゼネコンは、未だに脱談合の流れに乗り切っていない。
というか、05年12月に大手5社が「脱談合宣言」したワケだけど、ここの記事によれば、
名古屋の地下鉄の談合は、まさにその05年12月上中旬ごろ、大林組名古屋支店に集まって、
各工区の落札価格を決めていたと言うんだからどう考えてもタチが悪いだろこれ。


ゼネコンの上部から崩れている、の例として番組に出ていたのが「鉄建」という会社。
ゼネコンのランキングでは20位。鉄道関連事業を専門としている会社らしい。
そこの社長がインタビューで応えていた言葉が印象的で、自分達の脱談合の取り組みを語った後で、
「まぁ、最近は負けっぱなしですから、あんまり格好いいことも言えないんですけど」
とか何とか、そんな感じのことをボソッとつぶやいて、そのシーンはそれで終わったんだけど、
脱談合の先には別に明るい未来もなくて、頑張ったりコストを削減するのは当たり前だしで、
その社長の一言は「格好悪い」けれど、それを笑うなんてことはとてもできない。

それは番組に出ていた、和歌山県で10人強の社員を抱える社長にも見て取れる「格好悪さ」で、
材料費を切り詰めて仕事を取りに行っても、最後はくじ運で他社に仕事を奪われてしまい、
カメラの前で「仕方ない」の一言すら、なかなか口に出せなかったその遣る瀬無さに似ている。
彼らが「格好悪い」のなら、この「いい」とか「悪い」とかって結局どういうこと?
って、脱談合とは関係なく、中学生みたいなことを思ったくらい遣る瀬無い。


それが資本主義だ、とか、生きるとはサバイバルだ、とか、んなことはわかった上での話で、
それにしたって「淘汰」とか「サバイバル」とか、まるで現代って原始時代のようだ。



※(6月7日追記)
書き忘れたけど、この問題を、こういう形で番組にしてまとめたNHKはいいと思う。

談合を「悪」と言い切って、競争を当然視して称賛するのも一つの考え方だけど、
そこで見落とされているのは、生活を賭して、それでもなお敗れた人達の後ろ姿だ。
50万から5万、10万へと会社が減るという事態は、そんなに喜ぶべきことでもないし、
番組内で郷原信郎氏も言っていたけど、そこには由々しき問題も孕んでいる。

「脱談合」という言葉の先にある、それほど明るくもないし、楽しくもない未来を、
この番組は上手に取り込んでいた。ドキュメンタリーはこうでなければと思います。
正義面して問題に取り組むのはワイドショーやみのもんただけで十分。
posted by 手の鳴る方へ at 07:46| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

政治家が死んでも関係ないよ

松岡農水大臣が自殺してから、巷に溢れるブログを何度かに分けて流し読みしている。
400件は読んだけど、死人に鞭打つような、大臣に否定的な感想が多い。意外だ。
遺書が公開されても、首相夫人が泣いてみせても、ブログ世論の態度は変わらずスゲー厳しい。
そこまで「政治と金」の問題に関心があるようには見えないんだけれど、何故か厳しい。

最初の頃は陰謀説を語るブログもそこそこあったけど、時間が経つと少なくなった印象。
マスコミや野党を責めているブログは多い。が、首相を責めている方が多い。それも意外。
「松岡農水大臣は侍だ。死んで責任を取った」って都知事みたいなことを書いてるブログは、
私が見た限りでは3件しかなかった。「石原は何言ってんの?」って感想の方がまだ多い。

もはや「死んだからもう許してやれよ」という発想は前世紀的で共感を得られないし、
逆に言えば、今までそれで通用していたことも、こうして考えてみると理解できない。
責任者が死んだだけで、問題が発生した構造を現状そのままにしておくのは意味がない。
差別用語を別の言い方に代えても、差別の構造が世の中から無くならないのと同じことだ。

でも圧倒的に多いのは「ご冥福をお祈りします」って具合に、単に事件に言及しただけのサイト。

「政治家が死んでも私には関係ないけどブログでは触れておくよ」って態度は結構正しい。
どこがどう正しいかと言うと、政治に対する無関心さを率直に表明している点で正しい。
ニュース記事にリンクされた言及ブログの多くが、その記事に無関心だという事実は面白い。
前にも書いたけど、現代人は情報の前を通り過ぎるのに忙しいからね。
posted by 手の鳴る方へ at 02:30| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

夕張支援のキットカット

夕張支援のキットカット、ネスレ日本法人が発売へ
2007年5月28日(月)21:01



 財政再建団体に転落した北海道夕張市を支援しようと、ネスレ(スイス)の日本法人ネスレコンフェクショナリー(本社・神戸市)は28日、夕張メロンを原料に使ったチョコレート「ネスレ キットカット 夕張メロン」を6月4日から全国発売すると発表した。

 価格は1個147円(税込み)で、このうち10円分を夕張市が設立した基金に寄付する。

 夕張メロンで作ったクリームをミルクチョコレートで覆い、香ばしさを出したという。同名商品は2002〜06年に北海道限定で販売した。財政破たんした夕張への支援を求める手紙が同社に相次いだことから、中身を刷新して新商品として発売することにした。




この前まで、参院選に合わせるかたちで「ふるさと納税」とか言われてました。

「中央の発展は地方の犠牲の上に成立しているので、見返りに何か頂戴」という発想の税です。
仕事を得るため、労働力としての若者が、地方から都市部へと流出したのが日本近代の流れです。
で、生き馬の目を抜く勢いで、一次産業から二次・三次産業へと、産業構造が様変わりしました。
一貫して拡大してきた都心部とは裏腹に、大なり小なり発展が遅れているのが地方の現状です。
若者を労働者まで育てたのは地方なのに、その労働力で生産した富は全部都市部が総取りです。
確かに地方からしてみれば、その教育費分くらい税制でどうにかしろやクソ中央省庁が、
と、そう思っても仕方ないのかもしれません。

でも、そういう中央への依存体質って、見ていて気味のいいモンじゃないです。
都市部に暮らす地方出身者からお金を回して欲しいのなら、機械的な税制ではなくて、
○○地区の自然を守る地方債とか、御当地の会社の株が中心となった故郷ファンドとか、
方法は幾らでもあるんだから、こういう出資者の自主性に任せて欲しいと思うのです。
今後の地方を支えるのはお金じゃなくて、その土地を愛している人達です。
愛はコンビニでも買えますが、それでも税金なんかじゃ買えないんです。


このキットカットの試みも、もしかすると今後のスタンダードになるのかもしれません。
夕張市の件は、市政の自業自得もあったから、同情できない部分もあるんですけれど、
それでもこういう、いい意味での地味な善意が好きな人って多いと思いますよ。
ネスレ社としても、自社アピールとしてはいい感じだし、夕張市としても歓迎でしょう。
posted by 手の鳴る方へ at 04:53| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

オタクは人材

最近、ネットカフェ難民という言葉が妙に取り上げられている。
国が実態調査をするとかいうことで、ということは社会問題化しているらしくて、
マスコミもそれに乗じるだろうし、既にブログでもやたらと取り上げられているから、
まぁ、今年の流行語大賞は決まったようなものだ。

このネットカフェ難民とオタクは直接関係ないはずだけど、
ステレオタイプとして考えれば重なり合う部分も多いのかな、と思わなくもなくて、
例えば下のようなニュースが取り上げられると、さもありなんと言う感じになってしまう。


アキバに潜む闇のサイクル 万引→中古店に転売→メード喫茶→宿はネットカフェ
2007年4月27日(金)03:54  産経新聞



仮に現代日本のオタクの経済事情が劣悪で、ワーキングプア化しているとすれば、
ゲームやアニメやフィギュアやミリタリー等のオタクが貧困に喘いでいる実情は、
恐らく日本経済のためにもよくない。と言うのも、彼らは望む対象がそこにある限り、
湯水のように身銭を切るいわば「お得意様」のはずで、そのお得意様の財布が空になり、
死ぬほど欲するのに手に入らない、なんてことになるのはとても駄目だし、
消費者という側面だけでなく、発信者、批評者、つまりオタク文化の担い手としても、
その経済的な地位が脆弱であることには損失が大きい。


市場と言うのは知識や能力に値段をつけて売りに出せる場所で、
ある人が「これには価値がある!」と思えば適当な値段で買ってくれる。
んで、そこで交換されるのは別に金でなくてもよくて、
当事者さえよければ物々交換でもOKだけど、何でこんなことを言っているかというと、
オタクにはオタクとして培ったスペシャルな知識と言うものがあって、
その知識は同じジャンルを愛する人達によってしばしば交換の対象となる。
今の時代、そういう知識はネットで調べれば即座に手に入るんじゃね?って、
そう思うかもしれないけれど、実はまだ大きな溝が残っていて、
それが言葉の問題で、日本文化の多くはこの溝で躓いていたし、今も躓いている。


YouTubeのComments & Responses欄や、海外のオタクっぽいサイトを見ていて思うのは、
日本語の全くわからない外国人が、ネットに出回っている日本語のコンテンツを見て、
「これはどういう意味だ」とか「このソークールな歌を歌ってるのは誰だ」とか
「何でこの『らき☆すた』でジャップはこんなに盛り上がってるんだ」とか、
そこにいるかどうかもわからない日本語習得者に尋ねていることで、
尋ねているってことは興味があるってことで、こういう興味関心はとても大事だ。
で、大抵は英語で正しい答えが書き込まれているワケで、こういう繋がりもとても大事だ。


日本のコンテンツはまだまだ世界に大して市場シェアを持てるはずだ。
こういうコンテンツを海外に紹介するためには、それ相応の知識を持った担い手が必要で、
つまりその担い手として、オタクを使わない理由なんて特にないワケで、
オタクの潜在能力をフルに発揮できる環境を与えたらいいんじゃね?
って、そういうことがここでは言いたい。
で、多くのオタクは英語を話せないだろうけれど、そんなのは大した問題じゃなくて、
それは今から学べばいいだけの話で、昔、NOVAのCMの中で宇宙人も言っていたけれど、
異文化コミュニケーションに必要なのは伝えたいという熱意だ。
同じ興味関心のあるもの同士で、その関心についての会話をするのなら、
中学生程度の英語と+αの専門用語を知っていれば意外と通じるのは事実だ。


今現在、欠けているのは実質、オタクとOTAKUを繋ぐ(著作権侵害の無い)自由な空間だけで、
YouTubeのComments & Responses欄のような交流の場があれば面白いと思う。
それは政府なり産業界なりNGOなりNPOなりが用意するべきことだろう。

海外を渡り歩けるオタクを育成することは、コンテンツ国家を目指す日本には不可欠だし、
そこに生まれたオタクとOTAKUの繋がりは、人的資本としてきっと将来の役に立つ。
こういう交流の場があれば、ある程度のオタクは海外に眼を向けるようになるし、
OTAKUの裾野も広がり、日本のコンテンツがそこに根を張る可能性も高くなる。
コンテンツを愛してやまないオタクは、将来性のある人材と見る視点があってもいい。
posted by 手の鳴る方へ at 05:29| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

諫早湾干拓事業

長崎県諫早湾の干潟がいわゆる「ギロチン」で閉め切られたのが10年前の4月14日。

今年の8月から入植者募集を開始。10アールあたり1万2000円/年で土地を借りることができる。
この計画が持ち上がった当初は、作った農用地は田んぼにする、って話だったらしいけれど、
今、農水省の資料を見る限りでは、設定された営農類型の8つのモデルの中にコメの文字は無い。
アスパラガスやイチゴ、露地野菜、酪農などが干拓地の産業として想定されている。

自然破壊だ、無駄な公共事業だと、当初から色々と言われてきた諫早湾干拓だけど、
狭い、非効率的な中山間地から、大規模営農的な生産を目指す平地へと農地を移し、
比較的低コストで、しかも広範囲での営農が可能な環境を整えたのは間違っていない。
日本の農業はもっと効率的になるべきで、中山間地に縛られた今のままだと未来は無い。


そもそも日本の海岸線の約55%が人工海岸か半人工海岸と言われ、
戦後30年の間だけでも、約6万ヘクタールの海が埋め立てられている。
ちなみに諫早湾開拓事業で消滅した干潟は2900ヘクタールだ。
海岸線の原風景なんてとっくに無くなっていることは知っておいてもいい。



あと、諫早湾開拓事業の経緯については、何故かWikipediaが詳しく解説している。

諫早湾 ‐ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%AB%E6%97%A9%E6%B9%BE



テレビを見る限りでは、地元住人は全員あの干拓に反対してます、って感じだけど、
実際はそんなワケなくて、地元にも開発推進派はそれなりに存在しているらしい。

問題なのは、地方の当事者レベルでは意見が対立していて、決着がついていないのに、
そこへ中央省庁が介入して、中立に立つことなく、争いの一方に荷担したことだ。
地方の拗れた問題に、国が介入して既成事実を推し進め、話をややこしくした罪は軽くない。

諫早湾干拓事業は自然環境問題としてよく取り上げられるけれど、
国と地方の関係、地方分権問題としても重要な示唆を与えてくれる。



〜参考サイト〜

九州農政局 諫早湾干拓事業

いさはやひがたネット
※このサイトの「諫早湾閉め切り10年キャンペーン」のマークは面白い。
堅苦しい政治問題にはこういう遊び心って大事だ。
posted by 手の鳴る方へ at 02:47| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月21日

マックの定義改正キャンペーン

【こぼれ話】英語辞典の「マクドナルド=つまらない仕事」の定義改正へキャンペーン
2007年3月20日(火)16:59


【ロンドン20日】ファストフード大手のマクドナルドが、英語辞典の最高権威オックスフォード英語辞典(OED)に載った「McJob(マックの仕事)」の定義が不正確で従業員を侮辱しているとして、改正のための大キャンペーンに乗り出した。

OEDは「McJob」の単語を載せ、その意味を「将来性がなく、無味乾燥で低賃金の仕事」と定義している。英経済紙フィナンシャル・タイムズは、北ヨーロッパ・マクドナルドの人材活用最高責任者デービッド・フェアハースト氏の「現実を把握していない時代遅れの定義で、何よりも重要なことは才能があり、一生懸命に働いている(マクドナルドの)従業員を侮辱している」との反論を掲載、マクドナルドが定義改正を訴えるキャンペーンに乗り出したと報じている。




マクドナルドの気持ちもわかるが、定義改定キャンペーンの矛先はOEDなのだろうか?
こういう言葉が使われている巷間、社会そのものではなくて?
後者だとすると、ここで言われているキャンペーンの相手は世論そのものになり、
いくら国際企業マクドナルドと言えども、既存の言葉の意味を変えるのは難しいだろう。
今までだって優良企業をPRしているワケで、大衆に媚びたのにこのザマだ。

あるいはイメージ戦略を避けて、本気で職場改革を行うのだろうか。
海外のマクドナルドのアルバイトって、離職率がメチャクチャ高いらしいし、
そうだったらキャンペーンとしてはこれが一番有意義だけど、一番なさそうな話だ。

最悪なのは、OEDに圧力をかけて、辞典への掲載そのものを消し去ることだけど、
現実社会は何も変わらないワケで、その言葉は使われ続けるから意味は無い。
それに「圧力をかけた」という事実自体がマクドナルドにとってはマイナスでしかない。
下手すれば「McJob」の意味が不本意に一つ増えるかもしれない。



本当にどうでもいい比較だけど、この問題の構造は、
日本のある地方都市で市長選があって、「利益誘導政治は駄目!」と
常日頃からマスコミがそれとなく民意をコントロールしていたはずなのに、
結果としては地元への利益誘導を公約としている候補者が見事に当選して、
マスコミとしては彼を選んだ有権者に「お前らダメだよ」とも言いにくくて、
もちろん選ばれた新市長にも(いつかは言うけど当選直後には)言いにくくて、
一般論として「利益誘導ってダメですよねー」と新市長にインタビューしたものの、
「私の公約が民意を反映していることがこれで明らかになった」とか言われて、
スゲー面白くない顔をしているのに似ている。

利害関係の無いマスコミなら、引き続き「利益誘導ってダサいよねー」って言ってればいいが、
利害関係も会社の名誉も関係あるマクドナルドは、この場合どう動くのが最善なのだろうか。
キャンペーンの中身が気になるところだ。
posted by 手の鳴る方へ at 08:05| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月16日

選挙とネット 選挙の差異

そろそろ統一地方選の頃合。

ウチの地元では市議・市長選がある予定。
3月15日付の朝刊によれば、市長選の立候補予定者数人がブログを書いているらしい。
ちなみに、現行の公職選挙法はネットでの選挙活動を認めていない。
だから立候補予定者の選挙HP・ブログは、選挙が始まると同時に更新がストップする。
HP、ブログは公職選挙法第142条で許可されたビラに該当しないんだってさ。

それにしても、少年犯罪の加害者の実名が報道され、その是非を巡って裁判になるとか、
街中でシュプレヒコールを上げて道行く通行人を威嚇するとか、座り込むとか、
ある種の知識人の、新聞至上主義、手で書いてこそ文章、等々の主張とかに見受けられる、
まるでインターネットが存在していないかのような態度はどうにかならないのだろうか。


問題視されている投票率の減少だって、ネット投票が可能になれば解決するのに、具体化されない。
ビジネスの分野ではネットで決済とかしてるんだから、セキュリティー的に不可能だとは思えない。
ちなみに、この前、朝のTV番組で高校生が「どうしたら投票率が伸びるのだろう?」
って問題に取り組んでいて、そこで出てきた案が「投票用紙にクジをつける」「罰金を取る」
「使用済み投票用紙がクーポン券になる」等々、まぁ、ありきたりな内容だったんだけど、
真面目な若い連中ですら、「ネットで投票」という考えに思い至らないのは解せない。



で、市長選立候補予定者のHPアドレスが朝刊に紹介されていたので、
ついさっきまで読んでたのだけど、正直疲れた。二度と読まない。

列挙された政策ほど読む気を殺ぐ文章も無いと思う。
その主義主張、問題意識、熱意はわかるけど、付き合いきれない。

こういう流れで例えに持ち出すのも悪い気がするけど、
例えば、東国原英夫宮崎県知事のマニフェストがこんな感じだった。

そのまんま東のマニフェスト


聞き慣れない単語で無味無臭な政策が語られていて、これもキツイ。
量的にはこれでも少ない方だけど、読めないし、覚える気にもならない。
こんなブログを書いている私が言えたクチじゃないけど。


候補者Aと候補者Bがいた場合、選挙の意味はどこにあるのかと言えば、
双方が各々勝手に主張し、喧伝しているマニフェスト自体に意味は無くて、
彼らが主張するマニフェストも含めた、AとBの間の差異にこそ意味がある。
何かソシュール言語学みたいだが、その差異(意味)を目掛けて票が振り分けられる。


だから選挙をアイコン化するんだったら、クローズアップされるべきなのは差異だ。
で、それをするのがマスコミの仕事。こういう情報の削ぎ落としはTVが上手だと思う。
というか、TV以外の担い手がいないから比較のしようがないのだけど。
posted by 手の鳴る方へ at 02:13| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

僕の知らない過疎地

過疎地域の2641集落が消滅の危機 国交省など調査
2007年2月24日(土)19:52




全国の過疎地域にある約6万2000の集落のうち、4%強にあたる2641集落が高齢化などで消滅する可能性があることが、国土交通省と総務省の調査でわかった。うち422集落は、10年以内になくなる可能性があるという。地域別では中国、四国が多く、いずれも500集落近くが消滅の危機を迎えている。




生産性の無い村落の赤字分を埋めているのは、都市部で創出された富なワケで、
村落は都市に依存して生きながらえている。「三位一体の構造改革」以降もそうだ。
人が住み、必要とする人がいる限り、行政サイドのサポートは続けるべきだが、
わざわざ死に体の集落に人を集める必要は無い。全く無い。
「ふるさとを守れ」とか「国は田舎を見殺しにするのか」とか言うのは簡単だけど、
この関係を、都市生活者の田舎信仰的なノスタルジーで延命させるのもどうかと思う。
それってかなりヒドイことだと思うんだけどね。結局は都市中心だもの。

大体、地方自治体の財布はカツカツで、とっくに首が回っていない。
想像を絶する好景気の到来や、国策が転じでもしない限り、懐事情はシビアなままだろう。
僻地の社会保障なんてやってられるか、というのが本音じゃないのか。



そもそも、物心ついたときから都市で生活している人間が、この記事にあるような、
超過疎地の、漫画喫茶もエクセルシオールも和民も無い、国際化のスピード感も無い、
人口がもうじきゼロになるような所に生きている人達の心境を察するのは難しい。
そうでなくても齢たかだか20代の、へっぽこフリーター家業の若造が、
その土地の生霊みたいな、労働が体に染み入っているような高齢者の、
避けられない集落消滅に対する心境を察するのは難しい。

過疎地の投票率は都市部よりも高い、っていう情報は調べれば手に入るけれど、
でも、これでもって「政治に関心がある」「社会保障の行方を気にしている」
とは言い切れなくて、政策なんか見向きもせず、昔からずっと、習慣として、
自民党の議員に投票している、と考える方がしっくりくるけれど、
これだって単なる私のイメージに過ぎないワケで、要するにさっぱりわからない。
「鼓腹撃壌」って耳慣れない四字熟語があるけど、何となくそんな感じがしてやまない。

で、下手すれば現代人のヒューマニズムとか、物質信仰とかも通用しないかもしれなくて、
『楢山節考』に感化されすぎだけど、こういう情報はネットには絶対に落ちていない。
ネットどころか新聞やTV、雑誌媒介にも無い。無いからマジでわからない。
例えば政権が交代したときに、インタビュアーが過疎地へ飛び、役場の前にいた老婦人に
「安倍政権についてどう思いますか?」なんて聞くようなことはしないだろう。
「じきにマグロが食べられなくなるんですけど、どう?」とかは絶対に聞かないだろう。
人通りの激しい商店街の客か、信号待ちをしている人達にマイクは常に向けられている。
で、マスコミが集音マイクの役目を全然果たさないから、こういう類の質問に対して、
その老婦人が何て言うかは想像できない。政治観が、そもそも人生観がわからない。
何を考えて生活し、未来を想像しているのかがわからない。だから非常に興味がある。


だから、どうせ消えちゃうんなら、志のあるジャーナリストが現れて、
せめてその生活、集落を、一本のドキュメンタリーにして未来に繋げたりすればいいのに。
それを都市生活者のノスタルジーの入り込む余地のない感じで記録すればいいのに。
そしてそれを是非YouTubeに掲載してくれればいいのに。
posted by 手の鳴る方へ at 08:30| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは犬と豚

薄ら寒い如月某日、友人と安酒を飲んでたら労働とか、奥谷禮子の話になった。
奥谷禮子は人材派遣会社「アール」の社長で、労働政策審議会のメンバーの一人。
「格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう、能力には差があるのだから」
「労働基準監督署は不要」「過労死は自己責任」「下流社会だの何だの、言葉遊びですよ」
「若い人の中には、もっと働きたくてウズウズしている人たちがいる」等の発言で局地的に有名。

このように言う奥谷氏の労働者観はなかなか面白いと思う。
それは会社に寄りかかって生きる軟弱な労働者ではない。克己心ある自立の人だ。
健康的でポジティブ、何事にも前向きに取り組み、組織の中でもYes/Noがはっきりと言える。
このような人材はもちろん優秀であり、何らかの希少なスキルを持っているに違いない。



一方、歴史的な文脈を辿ると、労働者のイメージは奥谷氏のそれとは大きく異なっている。

『女工哀史』や『職工事情』なんかに顕著なように、歴史的に見れば労働市場は
買い手、つまり資本を所有している使用者側に大きなアドバンテージがあった。
労働契約といえども契約なワケだから、当事者間の自由意志に任せるのがセオリーだろう。
が、大抵の場合、労使間には甚だしい格差がある。富める資本家と、体一つの労働者だ。
そもそもの力関係に絶対な開きがある。対等関係での契約などとても期待できない。
使用者側は幾らでも労働者側の足元を見て契約することができるワケで、これはよくない。

で、戦後、昭和20年代、労働基準法などの労働三法が制定されることとなる。
これにより解雇、労働時間、休憩、賃金等に関して、使用者側に制約が架せられる。
不利な立場にいた労働者に対使用者用の武器が与えられたような形だ。



労働者はこのように保護されている。それは確かに正当な保護のはずだったが、
国際化の波が日本の労働市場に到達したときから、その正当性は揺らぎ始めている。


@ 肉体労働やルーチンワークは近隣アジアへ移した方が低コスト。
A 日本人の仕事がその分なくなる。スゲー困る。国力が下がる。年金とかもヤバイ。
B でも無能な人材を雇うほど会社は優しくない。慈善事業じゃないし。
C お前ら労働者は有能であるべきだ。それなら高コストでも雇う理由がある。
D と言うワケで、労働市場はもっとシビアであるべきだ。終身雇用なんてもう古い。
  労働市場で売買されているのは、本来、希少性のある技術・能力であるはずだ。
E 奥谷氏的な労働者観の誕生。


無能な社員を抱えたままでは、国際競争に負けてしまう。それはそれで困る。
故に、高い給料を払い、日本人のオッサンに書類整理をさせる理由なんてどこにもない。
奥谷氏の言っていることは使用者の理想論としてはもっともだ。もっとも過ぎて泣けてくる。
有能な審議会委員として、彼女が次にすべきなのは地に足をつけることだろうか。


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posted by 手の鳴る方へ at 06:56| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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